最低生活保障

火 旧暦 2月17日 赤口 庚子 七赤金星 Matilda Maud V11 24871 日目

日本国憲法第25条によると「すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する」ことになってゐるが、新聞の社会面を眺めると相当な貧困にあえぐ人々もあるらしい。すると第25条が果たしてどこまで実際に守られてゐるかは疑問である。そもそも「健康で文化的な最低限度の生活」とは具体的にどの程度の生活なのだらうか。戦争で疲弊しきった時代の日本であれば、その言葉から、誰にも共通した一定の生活レベルが想定されたかもしれない。だが、現代の様に物質が豊かで便利になると、最初は贅沢品として世に登場した新製品があっといふ間に人々の生活必需品になる。家でネットできる環境やスマホを持つことは今や必需品ではないだらうか。新聞記事の中に「ベーシックインカム(BI)」といふ言葉が目に入った(昨日の日経夕刊)。BI とは「仕事の有無や裕福かどうかに関係なく、例へば10万円を皆に一律に毎月支給する仕組み」のこと。フィンランドではすでにその社会実験が始まってゐるといふ。それが良い制度であるかどうかは僕には分からない。僕は現在、仕事もせずに生活させてもらってゐるので、その分肩身がせまいし、発言の権利もないのかしれないが、これからの時代、人工知能の発達で人々が職を失っても、最低限度の生活保障がされるのであれば、人々は新しい価値観を持つことができるかもしれない。だがその一方で、度の過ぎた社会保障は結局社会をダメにする気もする。お金で保障するのではなくて、モノや環境の提供で保障する方がまだ健全だと思ふ。