エルトゥールル号遭難事件

金 旧暦 8月16日 大安 辛丑 二黒土星 Dag Daga V37 24681 日目

「今日は何の日?」と思って暦を見ると、トルコの軍艦エルトゥールル号和歌山県串本沖で沈没した日であると出てゐた。もう126年も前の1890年のことであった。生存者は69名であったが、住民の献身的な救護活動が本国に伝へられ、日本とトルコの友好関係のきっかけを作ったと書かれてある。生きるか死ぬかの瀬戸際で切羽詰まった時、宗教や文化や習慣の違ひはあまり関係ないのかもしれない。お互ひに生命を大事にしようといふ思ひは、どんな国のどんな人にも通じると思ふ。また、一国の外交は外交官の活動だけで動くものではないこともあるとも思ふ。外交官と言へば、第二次世界大戦時、リトアニアに居た日本領事の杉原千畝が「命のビザ」を発行したことは有名であるが、今でこそ、その行為は世界で高く評価されるが、当時は外務省がこのことを問題視し、「日本国を代表もしてゐない一役人が、本省の命令に背き、こんな重大な決断をするなどもってのほかである」としてクビにされた。後に歴史に光が当てられ、その名誉が回復されるまでは杉原は相当にきつい不遇の日々を送ったであろうと思はれる。不遇は不遇のままで終はる場合もあったかしれない。その来るべき不遇を覚悟してでも決断できるかどうか、自分の問題として当てはめてみる時、当時の状況に身を置いてみなければ、杉原の本当の勇気は分からないと思ふ。