訴訟の世紀

2019-01-22 (火)((未定)1 年己亥)<旧暦 12 月 17 日>(仏滅 己未 二黒土星) Vincent Viktor 第4週 第 25548 日

 

この半世紀の間に訴訟といふものが劇的に増えたのではないかと思ふ。訴訟といふものは一種の争ひであるから、他人と争ひたくない人は訴訟といふ手段に訴へないと思ふし、実際、問題にぶつかっても訴訟などしない方が美徳である様な感覚が僕にはある。けれども、国と国との間で先端技術を競ふ様な状況では、訴訟でしっかり権利を行使できなければ、せっかくの知的財産がよそに取られてしまふことも起こりうる。自分ひとりは訴訟などとは無縁のところで生きてゐたいと思っても、なかなかさうできない状況もあるのではないかと思ふ。この世の中に生きてゐてどこか心安らかでないのは、その様な時代背景もあると思ふ。話が飛ぶが、家に鍵をかけなくても泥棒に入られる心配のない時代もあった。今は鍵をかけ忘れれば、忘れた方が悪いとされる時代である。手を変へ品を変へた詐欺の横行も目立つ。いつも何かに気をつけてゐなければならない時代を生きるのは結構辛い。精神が不安定になる人が増えても無理もない気もする。それでも、何をするにも便利な現代は良い時代であるのだらうか。

 

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また雪が降って、、