彼岸の入り

日 旧暦 8月8日 先負 己亥 四緑木星 秋彼岸入 Elise Lisa V38 24329日目

今日からお彼岸で、良いお天気に恵まれた。一階の四畳半の押入れの中身を全部出して二階の日当たりへ干した。ここにはコタツ用の敷物や布団などが入ってゐる。いづれももうこれから使ふことは無いだらう。ともかくも午後になってからそれを元に戻してお墓参りに行った。同居人とは九日前に一緒にお墓参りをして、その時のお花はまだ枯れずにあったが、今日も少しお花を買って足して置いた。「オヤッ?」と思ったのは、明治時代のお墓に、先日お供へした覚えの無いお花が供えられてあったことだ。どなただらう、とちょっと気になる。それも今回が初めてでは無い。何年か前にも同じことがあった。ちょっとミステリアスな感じもする。僕の家には墓石が三つある。ひとつは江戸時代からのもので、その昔、国替へでお殿様に随伴して祖先が引っ越して来た時に、大八車ではるばる九州から墓石も運んだと伝説的に聞いてゐるお墓である。家に伝はる一番古い戒名は延宝8年11月11日のもの、西暦1680年である。墓石の三面に小さな字で文字がたくさん彫ってある。その隣には明治時代のお墓があって、そこには二つの戒名がある。明治6年癸酉10月10日の日付と、明治37年12月9日の日付のもの。江戸時代のお墓も明治時代のお墓も、多分僕自身とは直接的な血のつながりは無いのであるが、小さい頃に親に連れられてお墓参りに行ったのは、主にこの二つのお墓であった。僕は生まれてから多感な青年を過ぎるまで、肉親の死に遇ふことが無かった。子供なりに死はいつも怖かったが、肉親の死に遭はずに大人になるまで過ごすことができたことはありがたき幸せであったと、これは今もさう思ってゐる。祖母(母の母)は昭和57年1月20日に亡くなって、それが僕にとって肉親の死を体験した最初であった。もう勤め人、33歳にもなってゐた。そこで新しいお墓が必要になり、今まであった二つのお墓の隣にできた。今は父母もそこに眠ってゐる。お墓参りは今は一番このお墓が僕には大事である。で、明治時代のお墓のことは僕は良く分からないのであるが、どなたがお花をあげてくださるのやら、更に分からない。