工程表嫌ひ

土 旧暦 1月3日 先負 戊辰 二黒土星 Hilding V8 24119日目

金曜日の日本経済新聞の夕刊「こころの玉手箱」欄に載った月尾教授の記事には共感するところ大きかった。「資本主義は終はった」と言ふ人もあるが、僕らのこれから先の時代には、もう成長することのできない社会、行き詰まった社会しか待ってゐないのかもしれない。それは暗いニュースなのかもしれないが、見方を変へれば、生きる価値観を変更するチャンスでもある。カナダ・イヌイットで教授が耳にされた「目的を達成することが重要で、いつ達成できるかは問題ではない」と言ふ生き方も確かにあると思ふ。実は僕は小学生だった頃に、担任の先生から聞いた言葉がある。「掃除をするときは、一枚一枚の板を心を込めて拭くことが大事である。あとどれだけ残ってゐるかをチラチラ見ながらやるのではなく、心を込めてやって、気づいたらいつか全部終はってゐた、と言ふやり方が良いのだ」と教はった。子供であった僕の心にストンと落ちるものがあった。社会に出てからもそんな仕事の仕方をしたいと思ってゐたが、実社会では予め工程表と言ふものを作成して、それを忠実にこなせる人が優秀な人であった。それは分からないでも無い。自分が家を建てて貰ふ時に、契約はしたけれど、「家はいつ出来上がるかわかりませんよ」と施工者から言はれたら、そんな業者に安心して仕事は任せられない。工程表にはずるいことをされない様に消費者を守り、また生産者をも守る一面がある。けれども、何が何でも工程表を守るために仕事の丁寧さがおろそかになってはそれもまた問題だと思ふ。僕が定年退職して一番ありがたいと思ふことは、この「工程表を気にせずに済む」と言ふまさにその一点にある。自分の本当にやりたいことに心を込める、それはいつできるか分からない、それでもそれは怠慢とはまた違ったひとつの確かな生き方なのである。少なくとも僕にとっては。