街角の風景

日 旧暦 1月4日 仏滅 己巳 三碧木星 Pia 1 i fastan V8 24120日目

僕らの住む街の中心部では、商店街の出口などに、みすぼらしい姿で「お金を恵んでください」と座り込む人が増えた。五年前のスウェーデンには見ることのなかった光景である。寒空に座り込む人を無視して通り過ぎるのはちょっとつらい。買ひ物袋をぶら下げて通り過ぎる僕たちの姿を見て、彼らは世の不公平を思ふだらう。だが、僕はその場でお金を出さない主義である。彼らはどこから来たのかをまづ思ふ。どの様な手段でここまで来たかを思ふ。さらに食事やトイレなどはどの様にしてゐるかを思ふ。彼らは多分何人か纏まって自動車に乗せられて、遠い国からここまで来たのであらう。その背後には貧民を送り込む組織があるのではないかと思ふ。そして、お金の集まりやすい場所を探してゐるかもしれない。だから、安易にお金を出すとそこはますます貧民が集まる結果を生みかねない。それで僕は安易にお金を出さない様に決めてゐる。だが、むろんそれでは本当の解決にはならない。貧民たちにとって世の不公平感は高まるばかりで、それは人々がテロに走らうとする下地を醸成しかねない。シリアなどで、いきなり住宅を追はれて逃げ惑ひ、難民になった人も多数ゐると思ふ。義のために貧困に落ちたのであれば貧困は恥ではないとも思ふが、誰も手をさしのべなければ彼らは餓死するかもしれない。グローバル化した社会では、自分では解決できない、けれども誰かがなんとかせねばならない地球規模の難問が、いきなり身近な街角にその片鱗を露呈することがあるのかなと思ひは複雑である。