電子顕微鏡とミクロの世界

木 旧暦 8月11日 赤口 戊寅 七赤金星 Gisela V36 23948日目

東大と日本電子とが協力して、世界最高性能の電子顕微鏡を開発したと言ふニュースを見た。分解能は0.045ナノメートル、原子の大きさまで見えるほどであると言ふ。物質を細かく切り刻んで行けば一体何処まで行って、その先にどの様な世界があるのかは興味深いところで、現代物理学はそれへの答へを持ってゐる様である。だが、僕らがこの目で確かめることの出来る世界はこの顕微鏡の持つ分解能あたりが限界ではないかと思ふ。原子の内部にはまた別な世界が広がってゐて、そこは不確定性原理が支配する世界である。原子の内部は殆どが真空であるが、中心に原子核があって正に帯電してゐる。その周りを負の電荷を持つ電子が回ってゐて両者は電磁気力で引き合ってゐる。引き合ってゐるならばあっさり合体してひとつになってしまへば良いものを、さうできないのは電子がその居場所に落ち着かうとすると動かざるを得ないことになってゐるからだ。時間も空間も数学的直線であればどこまでも細かく分割できるが、僕らの住む時空は多分これ以上分割出来ない最小単位があって、それも時間の分割と空間の分割を別々に試みるのではなくてワンセットで考へないといけないのだと思ふ。不確定性原理は粒子の位置と運動量の両方を同時に決定出来ないと主張するが、位置と運動量の定義中には時空が想定されてゐる。もしもプランク定数がうんと大きな値であったなら、僕らの日常世界も奇妙なものになってゐただらうと思ふ。不確定性原理の成り立つお陰で、原子核の周りに電子が捉えられて安定した元素を構成し、それが集まって、天があり地があり、山があり海があり、森があり泉がある世界ができた。しかし、分からない事はいっぱいある。デモクリトスは紀元前に万物は原子で出来てゐることを唱えた。21世紀に住む僕たちはその仮説が正しかった事を知ってゐるが、それ以上にどれだけ自分の言葉で、万物の物質的原因について語る事ができるだらうか。不確定性原理ハイゼンベルクによって1927年に提唱されたが、割と近年、名古屋大学小澤正直教授によってその不等式が修正されると言ふ話題があった。その解釈をめぐっては哲学的な一面がある様な気がして、どちらが正しいのか、いつまでたっても僕には分からない世界である。