いつくしきのり

日 旧暦 7月29日 大安 丁卯 九紫火星 Bartolomeus V34 23937日目

聖徳太子の時代から日本には十七条憲法があった。しかし、憲法と言ふ言葉は何だか近代的な感じがする。明治新政府は、日本を近代国家として出発させるために、列強が持ってゐる憲法なるものを、体裁上、自分たちも備へるべきであると考へて大日本帝国憲法を発布する事になったのかなと、漠然と考えてゐた。ヨーロッパでは、王様が現れて権力を振りかざし、民衆を苦しめるパターンの繰り返しの歴史であった。そんな社会構造の中では憲法が生まれる必然性があっただらうが、日本ではいつの時代も、帝が権力を振りかざして民を苦しめる事は無かった。社会の仕組みが違ふのにヨーロッパの真似をして、憲法を持たなければ先進国の仲間に入れてもらへないと考へたところに、日本の悲哀があった様な気がする。だから「憲法」と言ふ言葉は「哲学」、「社会」、「思想」などと同じく明治時代になって発明された言葉かなとも思ってゐた。ところが、思ってみれば一方に、日本には古くから聖徳太子の十七条憲法がある。江戸時代の寺子屋では日本史の授業でこれを「じゅうしちじょうけんぽう」と教へてゐたのだらうか。そんな疑問を持ってネットで調べてみると、日本書紀は漢文で書かれてゐるが、その書き下し文のところに「いつくしきのり とをあまりなな をち」と読み方がふってあった。「いつくしきのり」を「けんぽう」と読む様になったのは明治時代以降のことだらうか。