Hertig Karl のお祭り

土 旧暦 7月28日 仏滅 丙寅 一白水星 処暑 Signe Signhild V34 23936日目

今日は処暑。日本では広島で大規模な土石流があって多くの方が犠牲になり、大変な夏の終はりになった。今なお二次災害の恐れあり、行方不明者がまだ41人も居られる。スウェーデンの地方新聞にもその記事が載った。町の広場を通りかかった時、僕に近寄って「広島で大きな災害があったさうぢゃないか」と声をかけてくれる人もあった。「秋来ぬと目にはさやかに見えねども」と言ふ様な穏やかな季節感を、何世紀にもわたって育んでくれた日本の気候であるが、あっと言ふ間にあるだけの雲を集めて一箇所に集中的に雨を落とす残忍さを、最近は見せる様になった。この様な過酷なお天気の風土からは人の心に詩情が生まれることはなくなるのではないかと思ふ。「春秋に富む」と言へば、年齢が若くその身の将来に長い年月があることをさすが、この頃は日本では春も秋も体験できる期間が短くなった様である。「冬夏に富む」と言葉を置き替えなければならないかもしれないが、さうなると表現から詩が消えて仕舞ふ。スウェーデンに暮らしてゐると、もうこの頃は秋を感じる様になった。こちらでは幸ひに春も秋も季節感として健在である。午後の日差しもどこか虚ろで、空気が澄んで、自転車をこいで坂道を登った時、背中にあたる日のぬくもりが何とも心地良い。今日は Hertig Karl のお祭りの日であった。夏と秋と行きかふ空の下の、スウェーデンの中世を偲ぶ行事である。この季節には、家具メーカーのカタログが家に配達されて来る。それも僕には秋の季語になってゐる。