宗教の恐ろしさ

2022-07-17 (日)(令和4年壬寅)<旧暦 6 月 19 日>(赤口 辛未 二黒土星) Bruno 第 28 週 第 26828 日

 

宗教といふものは、人の魂を救ふことがある一方で、それだけにまた危険な場合がある。兼ねてから宗教には恐ろしい一面があることを感じてはゐたが、今回の安倍元首相襲撃事件の真相が明らかになるにつれて、その認識を再び深いものにせざるを得なくなった。「テロを撲滅せねばならない」正論である。「言論の自由を守らねばならない」正論である。だが、それらの正論に真っ向から挑戦するまでに追ひ詰められた容疑者の動機といふものは、単純な悪として退けられない一面を持ってゐる。それは普通の人間でも容易に陥ってしまふ弱点を示す様に思ふ。容疑者を気狂ひのように除け者にして蓋をして、表向きだけの正義を振りかざして行くと、安倍元首相の死は生かされることなく、問題はいつまでも解決しないと思ふ。そのような問題に、自分は深入りして考へたくないと思ってゐると、結局社会は良くならないのではないか。宗教団体も様々なのかもしれないが、人の魂は多額の寄付では決して救はれないことを人々にしっかりと教へないといけないと思ふ。また、人々の方も、団体が救済のためにお布施の要請をした場合には、すぐにそこから離れる心の準備がなければいけないと思ふ。

散歩にも出ずに家で寝た一日であった。