僕が歴史的仮名遣ひにこだはる理由

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ブログの原稿に歴史的仮名遣ひを試し始めたのは昨年の10月16日。現代で此の様な仮名を遣ふのは異端に思はれるし、どこか気障だし、仮名の変換にも手間がかかるので、余程止さうかと思ふ事もある。何より不完全な知識のまま書いてゐるので、間違ひも多いだらうと思ふ。恥づかしい限りではあるが、それでも敢へて歴史的仮名遣ひにこだはるのは、僕の心の中に日本を取り戻したいと言ふ思ひがあるからだ。と書くと、まるで安倍総理の政策のスローガンの様に聞こえてしまふが、僕はもっと文化的な意味で言ってゐる。父母の世代が戦前まで普通の生活で使ってゐた仮名遣ひを僕らの世代でやめてしまったら、その責任は僕らにあるのではないかと思ふ。戦後強行された国語改革に対して、現代を生きるものとして、非常に消極的な形であるにせよ、何らかの抵抗を試みるとしたら、自分がそれを使ってみることしかない。せめてブログだけでもと思って書いてゐるわけである。歴史的仮名遣ひを試みると、何でもない言葉でも字引をひく事になり、言葉を大事にしようと言ふ気持が自然に沸くことを実感する。言葉を大事にすれば生活も必然的に変はって来る。今の若い人はとびぬけて優秀な人がたくさん居るが、その一方で、精神を病んでゐる様な変な犯罪も後を絶たない。それはひとつには現代の国語教育の貧困に原因があるのではないかと僕は内心で思ってゐる。憲法を改正しても日本は良くならないが、仮名遣ひを正しく元に戻せば、日本を取り戻す事が出来るのではないかとも思ふ。かく言ふ僕も古文の読解は今も苦手で、偉さうなことは何も言へないのであるが、少しでも古い言葉とつながってゐたいと言ふ思ひだけは強くある。もしも、豊穣な日本古典文学の世界が、国文学の専門家の書斎でのみ生きるものになってしまったら、一般大衆の日常はつまらないものになってしまふ。なるべく昔の人と同じ言語感覚の中に生きたいと言ふ切ない願ひを持って、毎日ブログを書いてゐる。