亀井勝一郎の「春」

水 旧暦 11 月 24 日 仏滅 壬寅 三碧木星 Sigurd Sigbritt V02 25173 日目

高校の時の国語の教科書に、亀井勝一郎の「春」といふ文章が載ってゐたのを覚えてゐる。憧れの高校1年生になったばかりで、本当に初々しい気持ちで読んだ文章であったから、その文章の内容と自分の青春への思ひとが妙に混ざり合った様な心持ちがして、それが甘美な記憶となって今でも胸に残ってゐる。だが、白状すればこの年になるまで、僕は亀井勝一郎の書いたものを他には全く読んでゐないのだ。それで、青空文庫から「大和古寺風物詩」をダウンロードしてみた。本といふものはスラスラと読んで行くべきものかもしれないが、僕の読み方は、急な坂道を登る一昔前の蒸気機関車の様に、ちょっと立ち止まってプレイバックを繰り返す。さうでもしなければ著者に申し訳ない様な気がするのだ。斑鳩の里、法隆寺、陽炎のたちのぼる野辺、聖徳太子。それらの表面的な繋がりが、やがて読み進むうちに、聖徳太子とそのご家族の深い苦悩を想像せずには居られない様になってくる。ほんの少し読んだだけであるが、先の戦争のことも、天平の昔の出来事も、現代といふ不透明な時代のことも、全て何か共通した一つのことの違った表出に過ぎないのではないかと思はれて来る。まことの平和への祈りとは、おそらく現代の人たちが表面的に唱へる平和とは、異質なものの様な気がしてくるのだった。