「原始仏典」を読む

2020-09-07 (月)(令和2年庚子)<旧暦 7 月 20 日> (友引 癸丑 五黄土星)白露 Kevin Roy   第 37 週 第 26141 日

 

日本の仏教は分かりにくいところがある。伝来の年は538年とも552年ともいはれるが、蘇我氏はこれを積極的に受け入れようとし、聖徳太子の保護を受けて、日本で仏教が始まった。この時既にお釈迦様の時代から約千年ほども経ってゐた。平安時代になると空海最澄が唐に学び、帰国して真言宗天台宗を広めた。最澄が開いた比叡山延暦寺に学んだ多くの僧の中からは、鎌倉時代にかけて、法然親鸞栄西道元日蓮、一遍などの名僧が出た。しかし、その流れはいくつかの宗派に分かれ、自力本願や他力本願などーー初めからこの様に分けてしまふことが間違ひかもしれないけれどもーーバラエティに富んで、宗教を実践しようとするものにはどこへ入門して良いか分からないこともあるのではないかと思ふ。仏教は中国を経由して日本に入って来たが、どのお坊さんももとのお釈迦様の教へを求めたのだと思ふ。日蓮などは、ものすごい勉学の末に、法華経こそが私たちが守るべき正しい教へであると主張した。僕らの時代にはなかなか、お釈迦様のもとへ一足飛びには行くことができないのだが、割と最近、筑摩eBooks の「原始仏典」といふ本を Kindle 版で読み、深く動かされるところがあった。著者は中村元といふ偉い先生である。20年ほど前にお亡くなりになってゐるが、自分の生きる同じ時代にその様な立派な先生が居られたことに、驚きを感じた。サンスクリッド語、パーリ語などの原典から訳されたこの本は平易に書かれてゐるが、サッと読んで、あ、わかった、として良い本ではない。繰り返し読むことで、少しづつ自分を直して行くべきかと思った。学術論文の講義を聞いたといふよりは、尊いお坊さんの講話を聞いた後の様な読後感が残った。

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空の青さが目にしみた