復興支援の形

金 旧暦 9月14日 仏滅 丁巳 四緑木星 Lukas V42 23628日目

震災で被害を受けた土地へ頻繁に足を運ぶことを厭はない人もゐると思ふ。無関心よりずっと良いかも知れないが、行っても何も出来ず、ただ邪魔になるだけの僕などは、行ってみようと言ふ気がさらに起こらない。さういふ人間は復興の支援をどのやうにすべきだらうか。震災や津波の大きな被害が出た時に、「すは一大事」とばかり大急ぎで義捐金を送って、後はもう知らない、といふ態度はあまり支援していることにはならない。形には見えないかもしれないが、被災地は今はどんな風だらうかと折に触れて想像してみるだけでもかなり支援になるのではないかと思ふ。以前、阪神大震災が起きてもうかなりの時間が過ぎてから、用事があって神戸の町を訪れたことがある。まだ復興途上の様子であったが、一部の人は僕のやうな被害状況見物ツアーを見て、お前ら何しにここへ来たのだといふ激しい怒りの色を全身にみなぎらせてゐたのがいつまでも忘れられない。そんなことがあってからは、用事もないのにうろうろと現場へ出かけることは慎むべきだと思ふやうになった。人間は、目の前に被害にあった人、病気になった人を見ると、心のどこかに変な優越感とか差別を感じる傾向があるらしい。さうしてそれを憐れみと勘違ひするらしい。自分の心にそのやうなことは無いかどうか点検してみるだけでも復興の支援になるのではないかと思ってゐる。