地震後の生き方

木 旧暦 4月21日 赤口 丙申 九紫火星 Vera Veronika V22 23487日目

東日本大震災があってから2年以上経つが、僕はあれからものの考え方が変わったと思う。一口で言えば、がむしゃらに生きることはよそう、という風に変わったのだ。よく言えば鷹揚になったのだが、悪く言えばルーズになった。年のせいもあるかもしれない。仕事は無論大事には違いないが、どんなに大事な事だって、もしそれが津波にさらわれてしまえばおしまいじゃないか、というような気持ちがいつも頭にチラチラする。ところが多くの日本の人たちは、あの日のことをすっかり忘れていて、あの時はあの時であった、今は今である、とドライに考えている。僕はそんな風に容易に日常に戻っていくことができないものだから、何かの折に目に見えない摩擦が生じてしまう。どんなに「これは緊急でやらなければならないことだ」と血相を変えて叫んでいる人だって、その足元が東日本大震災の時のようにグラッと来れば、まずは仕事を放って逃げることを考えるのじゃないだろうか。つまり、どんなに重要な案件であると言っても所詮はその程度の重要度でしか無かったということである。世の中には木口小平のように死んでもラッパを放しませんでした、というタイプの人もいるかしれないし、能舞台で舞う人の中には、会場が揺れて天井が落ち、観客全員が逃げ出しても舞うことをやめない人もいるかしれない。けれども、普通の人は地震津波が来たらまず逃げることを考えると思う。それで正常だと思う。だからと言ってどこまでもルーズになってもいけないが、がむしゃらになるのも良くない。