30年前の日航機ジャンボ事故

月 旧暦 6月19日 赤口 辛亥 七赤金星 Tage V32 24282日目

毎年8月の声を聞くと、原爆、終戦が思ひ起こされるが、日航ジャンボ機事故も8月の悲しいニュースの思ひ出のひとつである。今年はあれから30年になる。あの頃、僕はまだ日本の会社で仕事をしてゐたから事件をよく覚えてゐる。NHKスペシャルで「空白の16時間」といふ番組が組まれた。墜落現場をもっと早く特定できて救助に向かってゐたなら、もっと多くの命が救はれたのではないかといふことを検証する番組であった。犠牲になった人や家族の気持ちを思へば番組の意図は良くわかるが、結果を知るものが、救助に関はった人たちの努力にはあまり注目せずに「あの時かうしてゐれば、、」と検証することに若干の違和感を覚える。今は技術が発達したから、墜落事故が起きたとしてもその場所の特定は30年前に比べたら容易であるだらうと思ふが、昨年3月のマレーシア航空機事故でも杳として行方が分からなかったことを思へば、墜落場所の特定は、意外と難しいものである。手がかりになるのは地上の目撃者からの情報であり、広範な区域からの多数の報告をいち早く漏らさず集計できるシステムがあるかどうかが鍵になると思ふ。墜落事故が起きた時、日本航空の要路の人たちは宴の盛りであった話を聞いたことがあるが、事故はその会社の体質を反映して起きるものではないかと、僕は密かに思ってゐる。その意味では東日本大震災で起きた原子炉事故も、いくら原因を追究しても表に出てこない会社の体質の様なものが原因にあるのではないかと僕は密かに思ふ。津波の防御壁の高さをどうするとか、格納容器にベントフィルターをつけるとか、活断層があるとかないとか、さういふ話とは全く別なところに事故の原因があるのではないかと思ふ。その意味で日航機墜落事故と福島原子炉事故とには共通点がある様に僕には思はれる。