絆社会

日 旧暦 11月4日 友引 辛亥 四緑木星 Assar 3 i advent V50 23322日目

東日本大震災以来、「絆」という言葉がよく使われるようになった。災害にあってしまった人々にとっては、非常時の助け合いがどんなに人々を励ましたか、分かるような気がするし、人の絆の大切さもその通りと思う。だが、平常の生活をするものにとっては、絆を深めるとは自分の世界に他人が介入して来ることであり、それを許容することである。それは自分に忍耐を強いる選択でもある。日本が高度経済成長を迎えた頃から、嫁と姑が同じ屋根の下に暮らす例は減って行った。よほど人間ができていなければ同居は難しく、たいていの場合、別々の生活にしなければうまくやっていけなくて、また経済の成長がそれを可能にしたのだと思う。そのことによって嫁と姑とはお互いに忍耐することから解き放たれたが、その分、絆は薄くなった。多くの若い人たちが結婚をしないでいるのも、忍耐してまで新しい暮らしをしようと思わないことの表れではないかと思う。そうして高齢者になるにつれて次第に孤立し、孤独死の増加が社会問題になりつつある。「絆を大事にしよう」。僕は全面的に賛成したい。だが、その耳障りの良い言葉の響きの裏に、それは貧困社会への準備であり、自分に忍耐を引き受ける覚悟の表明であると意識する人がどれだけいるだろうかと、つい僕は余計な心配をしてしまう。