飢饉について

日 旧暦 12月2日 先勝 己卯 七赤金星 Knut Tjugåndedag jul V2 23350日目

現代のように飽食の時代を謳歌していると、いつか手ひどい仕打ちを受けて、飢餓の時代が襲ってくるのではないかと心のどこかで心配している。網野善彦著「日本の歴史をよみなおす(全)」(ちくま学芸文庫)という本を読んだが、あっと驚くようなことがたくさん書かれていて、例えば水呑は貧農ではなかったという指摘などがなされていて、随分驚いた。その本のおしまいの方で飢饉についても触れられていて興味を引いた。それによると、冷害や凶作があったにしても、食糧を生産する地域ではそう飢えるものではなく、非農業的な地域、商取引のあった場、都市的な場において、穀物が不足して値段が高騰して、その結果、飢饉が発生したというのである。なるほどと思う。自分の卑近な体験から行くと、東日本大震災が起きた時、数日という短期間ではあったが僕は食べものが無い苦しみを味わった。「武士は食はねど高楊枝」などと気取ってみたが、たとえ数日でも空腹を耐えるのは容易ではなかった。ああいう災害が起こると、仮にお金があっても役に立たない。品不足になって値段が高騰するであろうことは良く分かる。歴史上の飢饉の発生は農民が飢えたというよりももっと広い経済現象であろうというのである。そうすると、これから先に起こるかもしれない飢饉もそういう見方の延長の上にあるかもしれない。もっと言えば、この論法で行けば、エネルギー危機も一種の飢饉である。現代のような飽食の時代は長い歴史の中では束の間の幸運な時期であるかもしれない。日本の歴史の中で飢饉は繰り返し起きている。先の戦争では多くの日本兵がアジア南部や南太平洋の島々で餓死しているし、戦後は内地でも食糧不足が起きた。そのあおりで僕らが子供の頃にはまだ米穀通帳というものがあって、それは一種の身分証明書として機能したんじゃないかと思う。大学に進学して寮に入った時などに米穀通帳を持参したような記憶があるがこれは間違っているかもしれない。中学時代の修学旅行では生徒全員がそれぞれお米を1合持参して、日光で泊まった旅館でスリッパを履き替えながらそれを渡した記憶がある。食糧とエネルギー。いつもあるから安心のように見えて、危機はいつ襲ってくるか分からない。