文化の日

土 旧暦 9月20日 仏滅 戊辰 二黒土星 文化の日 Hubert Hugo Alla helgons dag V44 23279日目

「そばに私がついてなければ何も出来ないこの人やから」という心理は、外国のことは分からないが、日本ではどんな女房も底の方で共通して持っている感覚ではないかと思う。賢い男たちはそれを上手に利用するのだ。我が家とて例外ではない。それが証拠に僕が怠惰に週末を過ごすと、同居人はきまって機嫌が良い。家にいてカチャカチャと動き回られるとプレッシャーになって、あまり気楽でいられないらしい。今日はお昼頃一緒にプールに行ったが、後は怠惰に過ごした。午後になって同居人は仕事に出たので、それからはひとりで過ごした。先日日本で買って来た水村美苗の「日本語が亡びるとき」を読んだ。著者の圧倒的な読書量と知識と豊かな語学の感覚の前に、いたく感動した。僕らが何気なく使っている日本語がいかに幸運な歴史を経て成立したものであるかについて余すところなく説明された上、例えば漱石の感じたであろう思いにまで豊かな想像がはせてある。この本が世に流布してから既に4年が経過している。変化の早い現代ではその間にも日本語は滅亡に向かって突き進んでいるのかもしれない。その勢いはきっと止められないのだろうと思う。日本の国語教育は日本近代文学を読み継がせるのに主眼を置くべきであると繰り返し書いてある。その通りであろうと思う。ただ、やや違和感を感じたのは家庭では何をしなければならないかについては触れられていないことだ。国語の感覚とは学校教育の前に、家庭での何気ない生活の実践の中に育つものではないかと思う。それもまた「我々は現に日本人なのだ」と言う発想と同じものだろうか。僕には学校教育の貧困よりも核家族化した家庭での対話の貧困が状況をより悪くしているのではないかと思われてならない。それを昔のように戻すこともかなわぬことではあるけれども。