放射性廃棄物処理場のこと

土 旧暦 6月24日 大安 甲辰 五黄土星 Susanna V32 231573日目

今日の Dagens Nyheter の Web 版にスウェーデン放射性廃棄物処理場の事が出ていた。使用済核燃料の最終貯蔵施設は何年か前にForsmark発電所の近くに設置されることに決まったが、その場所をバスで見せてまわるような催しがあって、夏休みもあってか観光客などが結構訪れているという。福島の事故があってからドイツは脱原発の方針を明快に打ち出した。フランスは原発維持の方針を修正していない。スウェーデンはどうかというと、2010年までに原子力をフェイズアウトしようというスローガンを掲げて長年やってきたのであるが、電源供給の約半分を原子力に頼ってきたこの国では、2010年が来ても脱原発は結局実現できなかった。むしろ各発電所で部分的にタービン出力を増やす工事を続けたほどである。脱原発は口で言うほど安易に実現できないものであることをだれもが認めざるを得なかったので、その後もズルズルと原発維持が続いた。そこに2011年、福島事件が起きたのである。僕はスウェーデンはこれを機にもう一度脱原発に戻ろうと唱えなおすのではないかと予想していたのだが、それが国の世論として高まりを見せているようには思われない。今更それは出来ないだろうという気分の方が強く支配しているようである。日本では脱原発をあまりにも簡単に無責任に主張する人があるように思われるが、彼らは等しくムード的で、日常家庭生活の節電レベル感覚でものごとを論じていて、日本の産業を維持するに必要な電源の確保ということへの想像力をあまりにも欠いていると言わざるを得ない。脱原発原発維持かという議論をする時は、原発維持ならば何パーセントにするかという議論よりも、核燃料のサイクルをどうするかということをあわせて議論して欲しい。その点、スウェーデンの方針は明快だ。核燃料はワンス・スルーとしているからである。もんじゅをどうするのか、その先にある核燃料サイクルをどうするのか、そして長期的に安定したエネルギー源を日本はどう確保していくのか。原子力技術の若い世代への継承の途絶えないうちに方針を決めて欲しい。いったんそれが途絶えてしまった後では、何年かしてまた原子力に復帰しようとしてももはやそれは不可能となる。団塊の世代は去り、日本は大きな問題を抱えているのに、いつまでたっても先が見えてこない。