世論の行方

金 旧暦 5月9日 先勝 戊申 三碧木星 芒種 上弦 Gustav Gösta V23 23858日目

ナショナルダーゲン。祝日である。初夏の空に国旗が翻ってゐる。日本で一番近い祝日を探せば「建国記念の日」と言ふことになるだらうか。僕がまだ小学校低学年だった頃、祝日が来ると玄関先に国旗を掲げる家は多かったが、高校、大学、社会人と進むにつれて、日の丸を掲げたり君が代を歌ふことに抵抗を感じる人が増えた時期があった。僕はその様に屈折した気持を持ってゐなかったので、素直に自分の気持を口にすると、「お前は右翼だ」と言はれてしまふ空気が周囲にあった。今は同じことを言っても何も言はれない。世論と言ふものは10年も過ぎると全く別の方向に流れうる、頼りないものであると思ふ。チェルノブイリ原子力事故の時、2000キロ近くも離れたスウェーデンでは、酪農などが放射能に汚染されて被害を受け、反原発一色に染まり、国民投票で2010年までに原子力をフェーズアウトしようとまで決議された。しかし、時が過ぎても、現実に原子力をやめることは出来なかった。そして、時の流れの中で人々は原子力の是非を口にしない様になった。福島以降の日本で、反原発の世論の勢ひが強いが、小泉元首相がどんなに頑張っても、日本が国力を失って行くことが客観的に明らかになるにつれ、世論は原子力容認にシフトすることは十分あり得る。ただ、その時まで、各電力会社が質の高い運転員をずっと維持出来るのかどうかは分からない。一度バラバラになってしまへば人員の再編はほぼ不可能である。安全は人と機械のたゆまぬ相互関係で築き上げるもの。原子炉を動かさない時期が長びけば長びくほど、原子力の実質的現場的安全レベルはどんどん下がって行く。僕はそのことが心配だ。