原爆忌

月 旧暦 6月19日 赤口 己亥 一白水星 Alfons Inez V32 231568日目

毎年8月6日朝の青空はどこか悲しい。まばゆいお日様を仰ぐと、その夏の朝もきっとこうであったろうと思わせるからだ。僕がまだ子供だった頃は、海の青も空の青も、今とは違ってうんと透明であった。そしてその透明であった分だけ、今よりも哀れが深かったような気がする。あの日、あの透明な青い空に巨大な威力の爆弾が炸裂した。想像するだに恐ろしいことである。幾年経るとても忘れてはならない大事件である。去年3月、福島で津波に伴う原発事故があって、多くの人たちが故郷を離れなければならない状況に至った。それはまたそれで大事件であったのだが、その出来事と原爆とを、放射能という項でくくって、被爆体験のつらさを共有した、などと言う人も居る。だけど、どうだろう。僕は福島の被害をもって原爆の被害者と同列に推し量って比較されたのでは、あまりにも桁違いに過酷な体験を強いられた原爆の被害者は浮かばれないだろうと思う。一方は最初から大量殺戮のために用意された悪意に満ちた兵器の爆発であり、他方は文明と繁栄のために用意された機械の痛恨極まりない過ちではなかったか。そのような過ちは許されない、という点ではまさにその通りであり、そのことに異論をはさむ余地は全く無いけれども、原爆と原発事故をおかしな具合に結びつけて論ずる風潮は、必ず人々を誤った方向へ導くに違いない。今日の青空はスウェーデンで見た。透明な青であった。けれどもここでは空の色にどこかもう秋の忍び寄る気配があった。