働き過ぎの国 日本

火 旧暦 6月20日 先勝 庚子 九紫火星 立秋 Dennis Denise V32 231569日目

同居人の仕事時間は朝勤の日と夕勤の日とがあるが、まず夜勤はない。ところが昨日は急な決まり方で午後も遅くなってから夜勤に出ることになった。他に働き手が見つからなくて頼まれたらしい。最初は断ったそうだがここは協力すべきかと思い直して引き受けたと言う。えらい。チャットが入ってこれから夜まで寝るという連絡を受けたから、僕は仕事から戻った時も静かに家に入った。だが、あまり眠れないらしく、僕が帰ってしばらくすると起きてきて、夜の9時過ぎには、もう暗くなった外へ出かけて行った。そうして朝になって帰って来た。若くも無いのに良く頑張ったと思う。そして今度は僕が入れ違いに仕事に出た。たまにはこういうこともあってよい。

ところで話はここから飛躍するが、仕事のリズムというものは本人ばかりでなく、共同生活をするものにも影響を及ぼすものであると思う。自分が忙しくて時間外勤務をしたりすると、それは自分にストレスになるばかりでなく、必ず家族にもストレスを与えることになる。今の日本ではどうか知らないが、忙しくても残業して働くのは当たり前、家族の協力も当たり前であるような風潮が昔はあった。多分今でもあるのではないかと思う。残業することが当たり前の社会になってしまうと共同生活が難しくなるから、若い人が余計結婚できなくなることもあるのではないかと思う。そして一方には働きたくても仕事のもらえない人がたくさんいる。期限が迫っているからとか、使命感に燃えれば出来るはずだとか、人は色々理由を付けたがるが、ああいう、のべつ能率の悪い働きすぎを奨励する日本の風潮は改めるべきだと思う。それで経済が悪くなることはないのだ。まるで自分のせいではないような顔をして、やる方もやらせる方も共に心のどこかに働き過ぎを肯定する気持ちを持っていることが本人たちの気づかぬ罪である。自らがまず欲しなければそれはそのようにはならないものである。働き過ぎを否定することは決して横着ではない。それは自分の人生や周囲の人たちを豊かにするためのひとつの信念であると思う。