ロンドン五輪

日 旧暦 6月18日 大安 戊戌 二黒土星 Ulrik Alrik V31 231567日目

テレビをつけると殆ど終日オリンピックの競技をやっている。日本の選手たちも良く頑張っているようで、なかでも内村選手は体操男子個人総合優勝を果たした。その数日前の団体戦ではあまりふるわなかったようであったので、過剰に期待してはいけないかとも思っていたのだが、そのような憂いをよそに見事に金メダルを獲得し、さらに今日の床運動では銀メダルをも手にした。どの競技にせよオリンピック出場となると選手たちには日の丸を背負って立つ(こういう言い方は、僕が若い頃にははばかられるものがあった)というプレッシャーがある。選手たちにしてみれば、人々が勝手に期待をかけているだけであって、試合の結果は自分たちの責任ではあるまい、悔しかったら期待する本人が出場してみれば良いではないかという思いはどこかにあるだろう。だが、きっと一流選手はそうは考えないのだ。代表選手に選ばれること自体、名誉なことであり、それはいやがうえにも人々の期待を集めてしまう。僕は色々な競技のルールも知らないので、さほど熱心な応援者とはいえないが、大きな応援をしても期待を内輪にしては素直な応援にはならないだろうし、期待だけ大きくして応援せずに結果を見るだけというのも感動が小さいと思う。だが、多くの視聴者を巻き込んで、オリンピックは世界中の大衆に興奮を与える。そこから励みをもらう人も居るし、燃える人もいるだろう。通信の発達した現代では、それは経済にも大きな効果を及ぼしうる。年を追うごとにオリンピックは商業主義に染められてきているが、そのこと自体は悪くないのではないかと僕は思う。もし何か悪いことがあるとすれば、大切な何かをどこかに忘れてはいないだろうかという反省である。「オリンピックは参加することに意義がある」そういう言葉を本気で信じている人は今はもう居ないかもしれないが、表向きだけでなく、根底にそういう精神を忘れないことも大事と思う。