自分史

月 旧暦11月11日 先負 甲午 三碧木星 Sven V49 22943日目

同窓会に出ることで、自分と社会との関係を、友達のそれとの比較の中で考えてみる、ということはあると思う。そしてそれは、結果として、現代とはどういう時代であるかを問うことにもつながるものがあると思う。そればかりではない。自分史を意識してみるきっかけにもなっている。しかし、自分史とは何だろうか。自分のことがよく分からない人間に自分史は書けるものではない。音楽を知らない人に音楽史が書けないように、物理学を知らない人に物理学史が書けないように、自分を知らぬものに自分史を書くことはできない。「汝自らを知れ」。蓋し名言である。「敵を知り、己を知らば、百戦危うからじ」。だが、己を知るは実は容易ではない。己の人生を振り返って、いつ、どこで、何があったかということを、年表風に書いてみても自分史にはならないと思う。そのできごとのひとつひとつが起きたことについて、その原因は何であったのか、そしてその結果どうなったのかということを見つめていくことがすなわち自分史というものではないかと思う。ある時僕は突然日本の会社を辞めてスウェーデンに渡った。その原因は何で結果は何であろうかと改めて思う。幼少から泣き虫で、弱音を吐いて、臆病で、小心で、石橋を叩いても渡る勇気のない僕が、無謀にもあらゆる生活の基盤を捨てて、着のみ着のままで海を渡り、知人もいない異国に住む。その出奔にも似た行為の裏に、いったいどのような形而上的原因があったのか、いかなる精神的軌跡を経てそこへ至ったのか、実は僕は自分でもよく分からない。分からないままにそれを語るのはまだ早いのかもしれない。だが、そういうことも、折に触れて、自分へのメモとして、ブログに残しておきたい気もする。