我思う

土 旧暦 11月17日 先負 甲子 一白水星 Natalia Natalie V52 23335日目

運命について思いをめぐらす時、必ず行き当たる言葉が、新約聖書の「神は真実なれば、汝らを耐へ忍ぶこと能はぬほどの試練に遭はせ給はず」という言葉である。この言葉を僕は「人間には自分に相応しい事件しか起こらない」と言う風に解釈している。どんな偶然にもきっと自分には分からない意味があるのだろうと思う。すると思いは世界と自分との関係に移って行く。デカルトは「我思う、故に我あり」と言った。この詩の一節にも似た味わい深い言葉の意味するところを僕は長年思いあぐねている。自分の生まれる前にも死ぬ後にもそんなこととは無関係に世界は存続している。けれども世界を客観的に記述することと己の主観とは実はひとつのものである、という風に僕はこの言葉を解釈している。デカルトの方法をお手本にしていけばそれだけで運命は開けるようにも思われるのだが、これはあまりにも主観的過ぎるだろうか。