発電所を守る人

月 旧暦9月7日 先負 辛卯 三碧木星 Evald Osvald Internationella barndagen V40 22881日目

原子力潜在的に非常に恐ろしいものを持っているのはよく分かるけれども、1000年に1度の大津波の被害を受けたことで不安をあおられて、必要以上に萎縮しすぎてもいけないんじゃないかと思う。何年も前の話であるが、原子炉は本当に安全かという問いかけに対し、電力会社の人たちが非常に慎重な考えを持っていたことに驚いたことがある。電力会社は原子力を推進する方だから、安全であることをもっぱらアピールする人たちばかりかと思っていたからだ。その慎重であることは、どんな原発反対者よりも真剣であり、具体性に満ちていた。何故だろうか。本当に事故に至った場合には、原発反対者はまるで鬼の首でも取ったかのように勝ち誇るだけで良いのであるが、発電所を守る人間はそれらを自分の責任において引き受けなければならないからだ。戦争で負けた後には雨後の筍の様に進歩的文化人が現れて戦前の日本を悪しざまにののしったように、原子炉事故を引き起こした後では民間から過去の誤謬と脱原発の大合唱が起きる。不幸にして事故は本当に起こってしまった。社会のためと信じてやって来たことがある日突然、社会の大迷惑を引き起こしてしまったことへの葛藤は大きいと思う。いったい誰が、どこで、どれだけ、ほとばしるような悔恨の思いで、この事故を見つめているか、それがこれからの日本を占うと思う。そうしてそういう悔恨と反省とを肝に銘じたうえで、やはり萎縮すべきではないと僕は思っている。