ペリーの憂い

日 旧暦5月18日 仏滅 乙巳 九紫火星 Germund, Görel Hel. trefaldighets dag V24 22775日目

3月10日朝に弱い地震を感じて、なんとなくその日のブログに地震はこわいと書いたら、その翌日に未曾有の地震が起きた。言霊のさきはふ国にあっては、何か悪いことを書くと、それが現実のものになって身にふって来はしまいかと案じられる。それで、なるべく悪いことは書かないようにしたいと思うが、しかし、そういう態度からは危機管理は生まれない。危機管理とはまさに最悪の場合を想定してかかることから始まるからだ。それで、もしこうなったら僕たちはどうすべきかという危機管理のために、という断りを掲げたうえで、僕たちの未来に待っているかもしれない危ないことについて書こうかと思う。それはエネルギー危機という形で現れるのではないかと僕は思っている。今度の福島の事故で、原子力は国民の信頼を大きく失った。そうして原子力発電が人々の目の敵にされ、自然エネルギーへシフトする動きが顕著になった。それは決して悪いことではない。だが、太陽光発電が大きなエネルギー源を占めて普及し終わったころに、富士山が爆発するシナリオもある。火山灰は関東一円のあらゆる太陽光発電装置を修復不能なまでに壊滅的に覆った。原子力発電はもう運転を禁じられていたので、多くの人々はどこからも電気が得られないないことのために滅びた。先の津波のようなあんな大きな津波はもう二度とやって来ないだろうとは言い切れないのと同じ程度に、富士山が爆発することはないだろうとも言い切れまい。世界の情勢によって、新たな石油ショックが決して起きることはないだろうとも言い切れまい。電源の多様化を図ることは、今の僕たちにとって、まさに非常に重要な課題であると僕は思う。世界に例を見ない今回の事故の教訓を生かして、より安全な原子力発電を目指して、再度これを肯定するより他に日本の生き延びる道はないと僕は思っている。人によっては、生活そのものを自然に回帰させることが大事で、電気に依存しない暮らしに向かわなければならないと主張する人もあるかもしれない。だがそれは戻ることのできない世界へ戻ろうとするむなしい努力である。ペリー提督が黒船を引き連れて浦賀水道に現れた時から、日本は後戻りのできない道を歩み続けている。あれからいくつもの戦争を体験してやっと平和が訪れて60年が過ぎた。この平和はいつまで続くだろうか。未来の敵は自然災害という形でやってくる。幕末の日本市民の平和な暮らしの様子を見聞したペリーは、その回想記のどこかで、この国に開国を迫ることが、はたしてここの人々の幸福につながるのかどうか、迷ってしまう、というような感慨をもらしたのをどこかで読んだような気がする。その憂いは、今、僕たちが元へは戻ることのできないという憂いとひとつのものである。仮にそこへ戻ることが出来たとしてみよう。黒船がやって来た頃の日本にワープして、今回、津波で被害を受けた東北地方は当時どのようであったか、歴史の本を紐解いてみるが良い。驚くなかれ、そこは、信じられないほどの飢餓列島の世界であり、骨と皮だけになったあわれな屍が累々とどこまでも並ぶすさまじい光景の世界であったのである。自然へ回帰しようとはそういう世界への回帰である。僕はそんな世界へは戻りたくない。日本は、奢ることのない節度を保ちながら、繁栄と、産業と、文明の国であってほしいと心から願う。そしてそのためには、今、原子力を容認せねばなるまいと僕は思っている。