いつも背中に日の丸を

月 旧暦 11月22日 友引 辛亥 四緑木星 Johannes, Johan V52 22600日目

これはやっても良い、あれはやってはいけない、というようなことを事細かに決められていては窮屈であると感じる人は多いと思う。でもそういうことは理屈抜きではじめから決められていた方が案外楽という一面もあるように、僕には思われる。自由が与えられると、人はその都度、自分の行動を自分で選択していかなければならない。これがなかなか負担になる。それで、隣の人はどうしているだろうかと観察する。あの人があそこまでやって、この人がここまでやるなら、僕だってこれくらいはやっても良いだろうというような考え方をしてしまうこともある。その昔、日本の会社を辞めてスウェーデンに渡った時、一番困ったことは、このありあまる自由の中でどのように自分を御すことができるだろうかという課題であった。郷に入っては郷に従え、という言葉もある。生活の実質的な面ではその通りかもしれないし、日本で常識とされていた考えをそのままこの国に持ち込んでも駄目なことはよく分かっていたが、そうは言っても、簡単にそれまで持って来た考え方を急に変更することは無節操に思われて、できなかった。それで、判断の基準を日本人の常識によるのでもなく、こちらの人々の考え方によるのでもなく、できるだけ客観的な基準に従おうと試みるのである。すると、そこで、客観的とはどういうことかという問いが生まれて、話はややこしくなるのであるが、胸に手を当てて考えてみること、くらいに思っている。それのどこが客観的なのかねという批判はむろんあるであろうけれども。「いつも背中に日の丸を」という自分に向けての標語は、そういう思いの表れである。決して偏狭なナショナリズムの標語ではない。日本人の少ない町に暮らして、人間としてあまり恥ずかしいことはしたくないと思っている。