日本語のための電子書籍

日 旧暦 5月16日 友引 戊申 三碧木星 Selma Fingal Den helge Johannes Döparens dag V25 22419日目

電子書籍のことが時々ニュースになる。電子メールを受け取っても紙に印刷してみないことには落ち着いて内容を読むことが出来ない僕の性格では、世の中が電子書籍に移行して画面の文字だけを読むような時代になったら果たしてついていけるであろうかと心配になる。線を引っ張るとその線が残るようなサービスも現れるだろうか。すると三色ボールペンもいらなくなるかな。いやいや本はやっぱり紙に印刷されたもので読みたいと思う。でも、日本語の場合、こんな電子書籍は現れないだろうか。漢字にフリガナはいっさい表示されないのであるが、その言葉に手で触れると一瞬フリガナが表れてくれるようなサービスである。人名の時など特に便利である。簡単な言葉で誰にも読めると思われる言葉でも、例えば「何時」と書いて、「ナンドキ」と読むか「イツ」と読むか、作者には読者にこう読んで欲しいという注文があるはずで、その注文したとおりの、この場合のただひとつの読み方だけが現れてくれなければ困る。だからこれは機械的に出来る作業ではなくて、筆者は作品に表れるすべての漢字に自分はこう読んで欲しいという読ませ方をすべて入力せねばならない。紙に印刷されている文章をただPDFなりのフォーマットで電子化して読ませても能が無い。日本語が他の言語とは違う表記体系を持っていることを電子書籍の出現でより豊かに体現できるなら、電子書籍はそれなりに価値のあるものとして広まるのではないだろうか。