手書きの国

木 旧暦 6月12日 大安 壬戌 五黄土星 Tage V31 25013 日目

グーテンベルク活版印刷術を発明して、聖書を印刷したのは 1455 年であった。それ以降は、本が大量に安く印刷される様になり、一般市民でも本を読むことができる様になった。ヨーロッパでそれは大革命であったに違ひない。それ以降、ヨーロッパの文明は大きく前進した。日本に活版印刷技術が輸入されたのは、幕末の 1857 年であった。それから日本語文字の活字を作成するには大変な苦労があったに違ひない。当時の日本は活版印刷技術も持たない国であったから、ヨーロッパの人たちから見れば未開な国だと思はれたに違ひない。けれども、当時の日本人の一般市民の識字率は驚くほど高かったらしい。活版印刷のない国、いはば手書きの国で、これだけの文明度を保つことができたことは奇跡ではないかと思ふ。ヨーロッパでは活字文化が定着してから 250 年以上して、1740 年頃、恋愛小説が出てきたと言はれる。ソクラテスプラトンアリストテレスの時代にも恋愛小説はあったのかもしれないが、後世に残ったのは哲学的な書ばかりであった。一方、日本では奈良時代に万葉仮名が使はれ、平安時代にはひらがなが発明されて、紫式部はひらがなを使って源氏物語を書いた。それは 1010 年頃であった。それからの 850 年ほどは日本人は実に紙と筆だけでやってきたのである。幕末の勝海舟なども手書きで英語の字引を写した話を聞いたことがある。コンピュータで文字を打つ現代の人々には想像することが難しい。だが、今でも日本語がひとつの言語として世界の中である位置を占めるのは、この様な手書きの文字の長い歴史を背負ってゐることと無縁ではないと思ふ。今でも本当に何かを勉強したい時は、コピー・ペーストより、文字列をタイプインする方が良いし、それよりもさらに、鉛筆で紙に書きなぐる方が、よほど内容が頭に入るのではないかと僕は密かに思ふ。スマホで文字を入力する時、次候補が次々に現れてくれるのは果たして良いことなのだらうか。