拝観券と拝観料

水 旧暦 9月2日 仏滅 癸亥 七赤金星 Stellan Islamiskt nyår V42 24343日目

今月、京都と奈良でお寺などを拝観した時、ひとつ不便に感じたことがある。それは、こちらの手に残る拝観券に拝観料が印刷されてないことである。これはどのお寺でも例外なくその様であった。1日の終はりにお金をどこでいくら使ったか纏める時、拝観券に金額が明記されてゐると非常に助かるのである。もし電子マネーやカードで支払ふのであれば履歴が機械上に残るから拝観料が印刷されてなくても一向に構はないのであるが、殆ど、現金で支払ふところばかりである。支払ひの都度、金額を頭に覚え込まさなければならない。いくら払ったか記録を欲しい人はその都度「領収書をください」と言へば良いのであるが、窓口でこの一言を発するのはちょっと怯むのである。こちらも大きな紙の公的な領収書が欲しいわけでなく、ここでいくら使ったかの小さなメモが欲しいだけである。拝観券にそれが印刷してあれば済むことだ。参拝客を相手にして、現金の授受がありながら、レシートを出さないのが当たり前で、レシートを欲しい人は申し出なさい、といふ態度がそもそも感覚的にずれてゐると思ふ。福井県に移って、永平寺を参拝した時は様子が全然違ってゐた。参拝券は自動販売機で求め、そこにはちゃんと領収書発行のボタンがあり、領収書のサイズも小型で、やり方が実にスマートであった。京都と奈良の寺院では拝観券に金額を印刷することを強く希望する。それは観光で成り立つ町の観光客への最低限の「おもてなし」であると思ふ。