「もんじゅ」の運転再開

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もんじゅ」が実に14年5ヶ月ぶりに運転を再開した。日本の将来のエネルギー政策の中で「もんじゅ」に課せられた使命は大きいものがある。「核燃料サイクル」が確立すれば将来のエネルギー資源を自前で確保できるのであるから夢のような話であるが、そこまで行くまでに莫大な費用がかかるであろうし、ナトリウム取り扱い技術の難しさなど、心配な面も多々あるに違いない。この先、実証炉、商業炉の建設へと開発は続くであろうが、将来、ある電力会社が1社で高速増殖炉の建設を決断できるような状況に至る事はないのではないかと思う。現代の日本では民意を得て新炉を建設できる場所も無いから、それは意味の無い「もしも」かも知れないけれども。殆どの先進国では高速増殖炉の開発から撤退している。日本は独自にどこまで頑張ることができるだろうか。安全の確保はある一瞬の達成を目標とするものではない。根気強くいつまでも持続させなければならない性質のものである。あるひとつの機械を指差して、この機械は安全だろうか、危険だろうかと議論することほど不毛の議論は無い。飛行機にしろ、鉄道にしろ、車にしろ、どんなに安全であると目されている機械でも、保守を怠り、点検を忘れ、運転への注意を怠れば、早晩事故を起こすは必定である。機械の持つ潜在的な恐ろしさを良く知って、いかにそれと対峙するかという、人間と機械とのたゆまぬ緊張関係の中にのみ、安全は守られるものである。世の中に無条件に安全な文明など無いのである。そういう人間と機械とのソフトウエア的な関係を、世代を超えていつまでも存続させられるかどうかが、鍵であると思う。そういう関係もまた、機械そのものと並んで現代文明の一部であると思う。