我に固有のもの

木 旧暦 8月13日 友引 己卯 六白金星 Ragnar Ragna V40 22150日目

ガリレオ・ガリレイピサの斜塔から重さの違う二つの球を同時に落とし、両者が同時に着地することを実験したといわれている。この有名な話を、子供のころ理科の時間に習ったが、その頃はただそんなものかと思うばかりであった。でもある時、地上の万物が大地に引かれる力の大きさは、それぞれが皆別々であることを思った。それぞれのものには固有な量がある、大地が僕を引く力の大きさを決めているのは僕自身だと気づいた時、f=ma という公式の意味が分かったような気がした。誰にもその人だけのものがある、それを各自が自分で決めている、ということを数式の上に表現されているように思えて新鮮に感じた。この固有のものが地球の外に出て無重力の中に漂ったとしよう。もはや大地は僕を引いてくれない。そこは上も下も無い、方向の指定しにくい空間の広がりである。地球に引かれずとも、固有のものはやはりそこにある。そこでは大きなものを動かすには大きな力が要り、小さなものを動かすには小さな力ですむ。それで改めてガリレイの実験に戻ると、地上では、もともと大きな力を加えなければ動いてくれない大きな球を大地は強く引いている。小さな力を加えればすぐに動いてくれる小さな球を大地は弱く引いている。この二つの球が「よーいドン」で落ちる速さを競うと、結果はものの見事に引き分けになるというのである。初歩的な話で恥ずかしいような気もするが、このことが分かった時、万物のそれぞれに与えられた固有のもののバラエティに感動すると同時に、それにもかかわらず用意された一貫した平等性に、自然の摂理の奥の深さをちらと垣間見たような気がした。