チェルノブイリのその後

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チェルノブイリ原子力発電所4号炉が大爆発を起こしたのは1986年4月26日1時23分であった。この未曾有の事故のその後はどうなったであろうか。あまり考えたくないことであるが、20年以上も前のこととして単に忘れることは出来ない課題を抱えている。事故があった当時、4基が運転中で、さらに2基が建設中であった。現在は全てのユニットが完全に停止しているが、あの壮絶な事故の後で、隣の3号炉は2000年まで運転していたというから驚きである。今でも廃炉の中に150トンの核燃料が残されているという。酸化が進むと放射性の塵となって再びあたりに撒き散らされるおそれがある。どのように処理すればよいか誰にも分からないまま、放置されているのが現状である。重い負の遺産である。Pripyat は発電所に働く人たちの町で、劇場やホテルや遊園地、プールなどの設備の整った平和な都会であったのに、事故後ゴーストタウンとなった。あのように危険な原子炉が建設されることは世界のどこをさがしてももう二度と無いとは思うけれど、今、世界のあちこちで新しい原子炉の建設が進んでいる。二酸化炭素を出さないエネルギー源として原子力発電は優れた発電方式であることは確かと思うけれど、これを単に追い風であると感じて、恐ろしさを知らない者どもがただ無反省に建設を進めるのであれば憂慮すべきことである。今日のブログは ingenjören という雑誌 Nr.8 2008 の記事を参考にして書いた。普通の人にはたった一度行ってみる事さえためらわれるこのチェルノブイリに働くスウェーデン人のことが紹介されていた、