電話の昨今

金 旧暦9月19日 先負 庚寅 七赤金星 Antonia Toini V42 21801日目 6.0℃

子供のころ、町に電話が普及し始めたころは、受話器はシンプルなものであった。受話器を取ると交換手が応対してくる。そこで相手の番号を告げて繋いでもらうというものであった。市外通話になると、わずかの距離の隣町でも、20分ほど待たされた。一度通話の申し込みをしたら、繋がりましたと言ってかかってくるのを待つのである。電話を引いた家が、隣の家に、お電話がかかっていますよ、と伝言に走ることもあった。ダイヤル通話ができるようになった時は文明を感じた。ダイヤルが戻る時に発するパルスの数で数字を知らせていたのであるが、やがてプッシュホンに代わった。今はプッシュホンが当たり前であるのでプッシュホンという言葉さえ死語に近い。電話に色々な機能がついて、電話機にも電源が必要になった。災害時は昔の2線式の方が有利であるに違いないのであるが、今はそのような電話を見かけなくなった。昔は電話をする時は緊張した。なるべく手短に話さなければお金がかかると思ってあせったのである。次第に横着になってあせらなくなった。今ではインターネット通信があって、これは料金体系もつなぎっ放しの感覚である場合が多い。プッシュホンの数字は上から下に昇順で並んでいる。これに対して、電卓は下から上に昇順で並んでいる。これは世界的に共通である。どうして統一しなかったのかなと思う。きっとマイクロプロセッサーの初期の設計がそうなってしまっていて、容易には変更できなかったのではないかと思う。携帯電話には電卓機能もついているが、この時だけ、電卓の操作感覚が違う。それで、やはり別の電卓を使ってしまう。