この便利さの陰に

火 旧暦6月20日 先勝 癸亥 四緑木星 大暑 Magdarena Madeleine Rötmånaden börjar V30 21713日目

便利な世の中である。おなかがすいたらどこかの食堂に入るか、コンビニで弁当を買えば用が足りる。24時間開いているので、計画的に買出しをする必要も無い。電車は数分おきに走っている。電車の時間に合わせて自分の予定を立てるのではなく、自分の時間に合った電車に乗ればよい。人と待ち合わせをする場所がきちんと決められていなくても携帯電話で連絡しあって会うから、計画は大雑把で良い。このような現代的ライフスタイルに誰も何の疑問も感じない。しかし、僕はこの便利さが気になる。人の本来あるべき姿から逸脱した便利さを享受しているのではないかと思う。ご飯を炊くことができなくても、芋の煮っ転がしを作ることができなくても、お漬物をつけることができなくても、つまり、お料理を全く知らなくても、都会では生きていくことができる。近くにはお惣菜屋さんもある。一人暮らしにはまことに便利であるが、子供のある家庭で親が全く料理をしなくなったら、子供の心は正常に育たなくなるのではないか、と心配になる。家庭というところは親子揃って食事をする時間があって初めて家庭と言えるのではないだろうか。少しでも多くの収入を得るためにそのような大切な時間を犠牲にする家庭があるとすれば、それは結局社会を貧しくしていく。お惣菜屋さんでおかずを持ち帰り容器に詰めながら、つまり、便利さを享受しながら、そのようなことを思った。

埼玉県の女子中学生が父親を刺殺した事件はその後も毎日のようにニュースで報道されているが、その動機は不可解である。成績が下がったとかその程度のことで、どうして父を殺そうとまで思いつめるのだろうか。同じような思考パターンを持つ子供がたくさんいるのだろうか。変な時代である。