いじめの問題

水 旧暦 7月26日 友引 丙子 九紫火星 Åsa Åslög V37 23227日目

いじめの問題が社会問題化している。新聞を読むと、文部科学省が全国の小中学校などに調査をしたとか、その結果がどうであったとか、出ている。いじめなど昔からあったと思うし、それを調査するのは僕には何か不自然な感じがする。ああいうものは調査をすれば実態が分かってくるものなのだろうか。いじめの現象だけを単独に切り離して対策をたてようとしてもうまく解決できないだろうと思う。もっと広く、根源的に、大人も子供も、人間同士の一般的な付き合い方が昔とは変わってきていることが大きな背景としてあると思う。世の中が便利になったせいで、人と人とが会話をしなくても用事を済ませることが多くなった。地域の交際も疎遠なことが多いのではないかと思う。親が子供を家庭でしつけることも希薄になっている。大人でもちょっと言いにくいことはメールでさらっと書いて伝えてしまうようなことも良くあるのではないかと思うが、言いにくいことこそ、面と向かって自分の言葉で伝えるように心がけた方が人間関係は良くなるものであろうと思う。その辺のことといじめの問題とはつながるものがあると思う。今は勉強しようと思えば学校へ行かなくてもインターネットで勉強できる時代である。ではなぜ学校が現代に必要であるかというと、そこでは、同じ年齢のもの同士が集まってくるので、そこでいかに人間として付き合うかを学ぶ為にあるんだと思う。舟木一夫の「高校三年生」の歌詞に、「僕ら離れ離れになろうとも、、」とあるが、あの思いは現代の高校生にもあてはまるのだろうか。友達と若い数年の大事な時間を共有した思い出は一生の宝と言って良いが、もし、そういう大事な時間を陰湿ないじめで過ごしてしまうとしたら、それは何とも不幸なことで、ひいては社会の大きな損失である。