我こそは

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我こそは新じま守よ沖の海のあらき浪かぜ心してふけ

おなじ世に又すみの江の月や見んけふこそよそに隠岐の島もり

日本語には「係り結びの法則」がある。「こそ」は已然形で結ぶ。けれども現代の日本語では「君こそ我が命」「明日こそ頑張ろう」のように文末に已然形を持ってこなくても全く違和感が無い。では、このような「こそ」の已然形結び離れはいつから始まったのであろうか、というのが僕の疑問である。冒頭の後鳥羽院のうた2首は「こそ」が已然形で結ばれていない。この時代にあっては新しい使い方であったかもしれない。古典でありながら現代的な感じを受けるのはそのような背景的効果にもよるのではないかと思う。後鳥羽院には

ほのぼのと春こそ空にきにけらし天のかぐ山霞たなびく

といううたもある。この場合の「らし」はきっと已然形であろうと思う。古語辞典の巻末の助動詞活用表を見ると、推量の助動詞「らし」は終止形も連体形も已然形も同形であるので、後世の読者は已然形であることに意識が至らないかも分からない。

ちなみに800年さかのぼった頃はどうであろうかと思って、手元にあった古今集から「こそ」を含むうたを数えてみたら103首あった。そしてそれらは皆例外なく已然形で結ばれていた。今後、新古今以前のうたに触れることがあったら、「こそ」にアンテナをはった読み方をしてみたいと思う。ことによると、日本語の歴史の中で、「こそ」の已然形結び離れは、後鳥羽院によって始められたものであるかもしれない。