ナ行の動詞

木 旧暦10月9日 赤口 庚戌 五黄土星 上弦13:03JST Gustav Adolfsdagen V45 21821日目

会社には行ったが、お客さんとの会議に出るのは遠慮しておいた。家にも早めに帰った。そして早く休んだ。

「死ぬ」という言葉は、子供の頃、僕らの地方では「死ぐ」と言っていた。国語の時間に正しい日本語では「死ぬ」というのだと知った時の衝撃は大きかった。「死ぐ」というと何か汚いところに落ちていくイメージがあったのに、本当は「死ぬ」と言うのだと教わった時、ホッとしたような心持がした。けれども、どうして僕達の地方では「死ぐ」などと言ったのであろうか。現代の日本語では「死ぬ」はナ行の五段活用をするが、ナ行五段活用をする他の動詞は無いのではないかと思う。この動詞は文語体の活用ではナ変ということになっていて、例えば「死ぬ時」は「死ぬる時」でなければならない。ナ行で活用する動詞は、上一段活用には「似る」、下二段活用には「尋ぬ」などもあるが、数として、ナ行で活用する動詞はもともと少ないと思う。これは、「来ぬ人を」のように、打消しの助動詞「ず」の連体形が「ぬ」になったり、「夏は来ぬ」のように完了の助動詞「ぬ」がもともとナ行であるせいで、日本語は一般動詞がナ行で活用することを嫌ったからではないかと思う。そのことと、僕達の地方で「死ぐ」と言っていたことが関係しているのかどうかは分からない。