國神神社の春季例祭

2024-04-16 (火)(令和6年甲辰)<旧暦 3 月 8 日>(仏滅 庚戌 八白土星)上弦 Patrik Patricia    第 16 週 第 27457 日

 

昨日15日から明日17日まで、わが町ではお祭りである。町のお祭りといふより國神神社のお祭りである。子供の頃から4月は春季例祭、10月は秋季例祭と決まってゐた。今は古城まつりとか色々とイベントがあるが、子供の頃にはまつりといへば國神神社のお祭りをさした。この日が来るのが大きな楽しみであった。今日は同居人と散歩がてら出かけてみた。小さな町のこじんまりしたまつりで、行ってみて良かった。人形焼やゲームなどのお店も道路脇に並んでゐた。昔はせともの市と植木市が必ずあったものだが、今は見かけることがない。ところで、この國神神社は椀子皇子を御祭神としてお祀りしてある。椀子皇子継体天皇の皇子とのことである。昔は境内に土俵もあったと記憶してゐる。朝は雨が降ったが、昼は止んで風が少しあった。夜になると雷がなった。

國神神社春季例祭

 

映画「オッペンハイマー」を見る

2024-04-15 (月)(令和6年甲辰)<旧暦 3 月 7 日>(先負 己酉 七赤金星) Olivia Oliver    第 16 週 第 27456 日

 

福井市の映画館で「オッペンハイマー」を見た。同居人と一緒に行く予定であったのだが、朝起きると同居人は「昨夜は少しも眠れなかったの」と言ふ。僕はひとりで行くことになった。他の日に変へても良かったのだが、今日は映画館の近くに来店予約を入れてある別の用事があったので、変更せずにひとりでバスで福井のエルパへ行った。映画「オッペンハイマー」を鑑賞した後の感想は複雑なものである。トリニティ実験は1945年7月16日の早朝に行はれた。夜来、嵐の様な天候であったのだが、朝になれば晴れることを弟が知ってゐて、実際その通りになったので、実験は行はれた。それは爆縮型プルトニウム原子爆弾で、後に長崎に落とされたものと同型の爆弾であった。広島や長崎の惨事を知る日本人にとってはこの実験の成功は大変辛いものがあるが、アインシュタインの E=mc2 といふ式が実証された瞬間であった。関係者は実験成功に大喜びするのだが、オッペンハイマーの心は揺れる。それは日本の犠牲者たちに対する謝罪といふかたちを取らなかったけれども、その苦悩はわかる気がした。もし、政府に迎合し、「原爆の父」として、アメリカを救った英雄としての名声を欲しいままにし、人間の良心に照らして顧みることがなければ、もっと楽な人生を送られたかもしれない。しかし、オッペンハイマーは苦悩した。その苦悩といふのは過去への後悔といふよりも未来への憂慮といふ形で現れた。「もし我々が『何が正しいかは私たちが知ってゐる。君たちがこちらの言ふことを聞かなければ原爆を使ふことにするよ』と言ふとすれば、我々の立場はきはめて弱いものとなり、成功はしないだらう」とオッペンハイマーは考へた。この憂慮はそのまま現代まで続くかたちとなってゐる。核の時代の百年の憂ひを、実にオッペンハイマーはトリニティ実験の直後から憂へてゐたのである。オッペンハイマーは世界中の国々の科学者が緊密に連帯し、原子力を一国のものではなくきちんとした国際管理のもとに置くべきであると考へた。現実政治の仕組みをよそに、あまりに純粋でありすぎた彼の理想は挫折する。だが、その素朴な考へに立ち返ることができなければ、現代の我々を覆ふ核の時代の諸問題は解決の糸口をつかむことができないのではないだらうか。「広島を壊滅させた男」といふだけの見方ではあまりにもこの人を一方的にしか見てゐないと僕には思はれる。

町の中を走る北陸新幹線の高架

 

昔の思ひ出

2024-04-14 (日)(令和6年甲辰)<旧暦 3 月 6 日>(友引 戊申 六白金星) Tiburtius    第 15 週 第 27455 日

 

春の陽気に誘はれて少し散歩してみた。どうかすると汗ばむほど暖かであった。知らないうちに新しい家やきれいなアパートがたくさん建ってゐた。ふと思へば、僕が子供であった頃はこのあたりはずっと田んぼであった。家の裏には小さな川が流れてゐるのだが、その川の対岸はもう田んぼで、田を耕す牛が目の前まで来たものだった。田んぼはずっと向かうの山の麓まで続いた。絶景であった。夏休みの宿題には絵を書いたが、この遠くの山までずっと続く田んぼの風景を写生することが多かった。そんな田んぼの中を今僕は歩いてゐるのだなと思ふと妙な気分になった。山の方に目をやれば、麓を走る自動車が垣間見える。北陸自動車道である。少し北よりの場所に丘の様な小さな山があり、そこは昔、焼場になってゐた。その丘からうすい煙が立ちのぼるのが家の裏から見えた。そんな日は、ああ、今日は誰か亡くなったのだなと分かった。夏の夜には家の裏の小川に蛍が群れ飛んで、何だか風情があった。みんな遠い昔の思ひ出である。

散歩の時に。左の白い建物は福井県立丸岡高等学校。昔はもっと町の中にあった。

 

是非もない

2024-04-13 (土)(令和6年甲辰)<旧暦 3 月 5 日>(先勝 丁未 五黄土星) Artur Douglas    第 15 週 第 27454 日

 

「是非もない」と言へば、「さうなってしまったのなら仕方がないさ」といふ響きがある。織田信長が本能寺で明智光秀の謀反を知った時、信長は「是非におよばす」との言葉を発したといふ。この言葉の元々の意味は「良いも悪いもない」といふ意味であると思ふ。今週の日本経済新聞木曜日夕刊の森岡正博氏の「誕生肯定の難しさ」といふ読み物も面白かった。文中にある「もし、私が生まれてきたことに良いも悪いもないとすれば」といふ仮定が深遠なのである。実は、世の中のあらゆる事象について、「良いも悪いもないのだよ」といふ視座を据えてみることは意外と大事なのではあるまいか。ダーウィンが進化論を唱へた時、当初、簡単には世に受け入れられなかった。適者生存の原則には冷たい掟を感じる一面もある。だが、何のために進化するのかといふ意図などは実は何もないのだよと思ってみることで、救はれた様な気持ちになることはないだらうか。プーチンみたいな指導者が世の中に出現することについても、気候変動で人類の前途に注意信号が点ってゐることについても、一旦は「良いも悪いもないのだよ」といふ認識を持ってみることは意外と大事なのではあるまいか。そんな視座から出発して、私はやはりかう思ふといふ筋道を考へれば、それはひとつの考へとして深まっていく気がする。今回、日本に来てホテルやお店で若い人の接客態度に違和感を感じたことがあった。一瞬ムッとなったけれども、それで怒るのではなく、「良いも悪いもないのだよ」と思ってみるだけで、怒りは和らぐ気がする。「物事にほんの少しでも欠陥があれば、それだけですべてがダメになる」といふ発想から自由になるためにも、一旦は「良いも悪いもないのだよ」と受け入れてみることは大事かなと思ふのだ。

昨日行った公園で

 

しだれ桜の里

2024-04-12 (金)(令和6年甲辰)<旧暦 3 月 4 日>(赤口 丙午 四緑木星) Liv    第 15 週 第 27453 日

 

僕らの町から東に少し行くと山になる。その山の奥まったふもとに「竹田の里」といふ地域がある。そこに「しだれ桜の里」といふ花見スポットがあって人気を集めてゐる。同居人の姉が東京から来たので、今日は3人で、その「しだれ桜の里」へ行った。町の中心部から一日に数本、バスが出てゐるので、バスで行った。行けば山が間近にあって空気がきれいだ。竹田川の流れもまた清らかである。こんな場所に来るととても慰められる。それに加へて今はしだれ桜が咲いてゐるので、しばらく花見を楽しんだ。ちょっとゆっくりできた一日であった。

しだれ桜の里へはバスで行った。

 

家事を手伝ふ電化製品

2024-04-11 (木)(令和6年甲辰)<旧暦 3 月 3 日>(大安 乙巳 三碧木星) Ulf Ylva    第 15 週 第 27452 日

 

家事といふのは何かと時間がかかるものである。それで、その手間を省くことができるようにと、さまざまな電化製品が開発されてきた。家事の三大分野は「お料理」「お掃除」「お洗濯」に分類されるかなと思ふ。このうち「お料理」では、炊飯器、電子レンジ、食洗機などがあるかなと思ふ。「お掃除」では電気掃除機、お掃除ロボットなど。また、「お洗濯」では洗濯機、乾燥機などがあるかなと思ふ。僕もこれらのいくつかは使ってみたが、あまり家事の助けになってゐるものは少ない様に思ふ。食洗機など、良いかなと思って導入してみたがあまり家事の助けになってゐる気がしない。小さな食洗機は食器を入れる場所も狭いので、お皿などが割れやすい。僕は食器を取り出す時に何枚か割ってしまった。割ったのは自分が悪いのだが、食洗機さへ使ってゐなければ割らずに済んだのにと思ふ気持ちがないではない。何年か前に食洗機を買った時は冬に冷水で食器を洗ふのはつらからうと思ったからだが、寒い日は石油ストーブの上でお湯が沸くので、それをうまく利用すれば食洗機は必ずしも必要ないとわかった。お掃除ロボットも試してみたが、役に立つと思ったのは短期間だけであった。箒、塵取り、雑巾の古典的道具が一番僕の性に合ってゐる。これに対して、全面的に作業を機械に任せることができるのは洗濯機である。洗濯機は確かに家事の助けになってゐる。洗濯機こそわが家事の友として賞状を授与してやりたい。今まで気づかずにゐたが、一連の自動運転の後で、コース運転として「風乾燥」といふコースがあり、これを利用すればかなり早く乾くことがわかった。シーツなどの大物を洗った時は、この洗濯機で風乾燥まで済ませ、あとは近くのコインランドリーへ持って行って大型乾燥機にかける。すると100円硬貨1枚で12分乾燥させれば完全に乾くことがわかった。色々と体験すると発見があって面白い。

桜は水を背景とするとよく映えるかな。

 

今日は晴れ

2024-04-10 (水)(令和6年甲辰)<旧暦 3 月 2 日>(仏滅 甲辰 二黒土星) Ingvar Ingvor    第 15 週 第 27451 日

 

同居人は集中的に庭仕事をやってくれる。そのおかげで、あれてゐた庭も随分きれいになった。とても助かる。やや不思議であるのは、昔の友達と連絡することをなるべく控へめにしてゐる様に見受けられることである。ただ庭に出て無心に草をむしる。このためだけに私は今、ここにゐると思ひこんでゐるフシがある。疲れると横になるがしばらく休むとまた庭に出る。今日は晴れたので、姉と同居人と僕と3人でお墓参りをした。

近所のお寺の桜