春の嵐

2024-04-09 (火)(令和6年甲辰)<旧暦 3 月 1 日>(先負 癸卯 一白水星)新月 Otto Ottilia    第 15 週 第 27450 日

 

午後になって雨は上がったが、朝のうちは風も強く天気が悪かった。せっかく満開になった桜もこの小さな嵐のために幾分花びらを落とした。昨日東京から姉が来てくれて色々と世話をしてくれるので助かる。古い家でも人が増えると活気づく感じがある。

故郷の古城の桜

 

春爛漫

2024-04-07 (日)(令和6年甲辰)<旧暦 2 月 29 日>(赤口 辛丑 八白土星) Irma Irmelin    第 14 週 第 27448 日

 

富山に住む甥とその奥さんが日帰りで我が家に遊びに来てくれて、楽しい一日を過ごした。甥といふのは姉の長男で、わざわざ訪ねてくれたのが嬉しい。同居人は毎日せっせと庭をきれいにしてくれるのだが、ふたりだけで過ごすと、気分が沈みがちな気がする。今日は若い人とおしゃべりもできて、桜もほぼ満開で、午後は日がさして暖かく、なんだか幸福な一日であった。

菩提寺の台雲寺で。お墓参りにも一緒に行った。

 

京都の思ひ出

2024-04-06 (土)(令和6年甲辰)<旧暦 2 月 28 日>(大安 庚子 七赤金星) Vilhelm William    第 14 週 第 27447 日

 

日本に来たら、京都など行ってみたいものだと思ふが、とてもそんなことが許される状況でもない。では、もし行けるとしたらどんなところを歩きたいかなと思ってみる。吉田神社あたりから山を越えて三井寺まで歩いてみたい気がする。また、三井寺から宇治まで歩いてみたい気もする。いづれ後白河院の第三皇子である高倉の宮が源頼政らと挙兵した時に辿られた道である。だが、今の僕の体力ではこれらのコースはとても挑戦できさうにない。2015年秋に、日本が好きなダニエル君と一緒に京都に行ったことがある。この時は琵琶湖畔にあるホテルに泊まって、早朝に坂本からケーブルカーで比叡山に登り、その後、京都の町に入った。ケーブルカーの窓から見下ろす湖水のキラキラとした輝きが印象的であった。比叡山では横川まで足を伸ばして、道元禅師得度の地へも行った。過去に京都へは何度も行ったことがあるが、ダニエル君と行ったこの時の京都は思ひ出深い。

やはりサギの種類かな。家の近くで。

森岡正博氏の「誕生肯定」

2024-04-05 (金)(令和6年甲辰)<旧暦 2 月 27 日>(仏滅 己亥 六白金星) Irene Irja    第 14 週 第 27446 日

 

日本経済新聞は朝刊よりも夕刊の方を僕は読む。夕刊の「プロムナード」や「明日への話題」は割と楽しい読み物であるが、毎週木曜日夕刊の森岡正博氏の記事を特に楽しみにしてゐる。「反出生主義」をキーワードに毎週いろいろな切り口から話題が提供されてゐる。書かれてあることに共感することが多い。最初に気づいたのは2月中旬で、その時もブログで感想を書いたが、それ以降も同じ話題で毎週記事が続くことが驚きであった。先週の「完璧主義の罠」も面白かった。「ものごとにほんの少しでも欠陥があれば、それだけですべてがダメになる」と考へる傾向への指摘にはドキリとするものがある。いっとき渡辺淳一氏が「鈍感力」を唱へられたことがあるが、共通するものがあると思ふ。ソクラテスは短く「善く生きよ」と言ったが、森岡氏の記事はそれを具体的に説いて聞かせてくれる感じがある。

我が家から一番近い桜。昨日の写真で明日あたりに満開か

 

日常生活

2024-04-03 (水)(令和6年甲辰)<旧暦 2 月 25 日>(友引 丁酉 四緑木星) Ferdinand Nanna    第 14 週 第 27444 日

 

スウェーデンに暮らそうが日本に暮らそうが、日常のルーチンはさほど変はるものではあるまいと思ふのだが、実態は随分違ふ。大きな違ひはコンピュータと向き合ふ時間である。スウェーデンに暮らした方がコンピュータと向き合ふ時間が長い。健康のためにはコンピュータなんかとあまり長く向き合はない方が良いと思ふ。日本に来ると、画面で新聞を読む時間がほとんどなくなった。メールボックスに届くメッセージを整理するにも結構な時間がかかることを実感する。また、日本に来ると水泳に行くのが難しい。スウェーデンに居ても頻繁にはプールに行かないのだが。日本に来ると朝はキチンと起きられる気がする。これはゴミ回収日には割と早い時刻までにゴミを出さなければならないことも関連してゐるかもしれない。ただ、疲れたらすぐに寝る様にしてゐる。コロナ禍以来、免疫力向上のために睡眠をたくさんとる習慣がついて、たくさん寝ないと何もやる気が出ない。眠い時に横になればよく眠れる。もはや後期高齢者であるから、あまり欲張りな計画を立ててはいけない。ただ生きてあることに感謝しながら小さく生きたい。

坂井平野の風景

 

寝酒の効用

2024-04-02 (火)(令和6年甲辰)<旧暦 2 月 24 日>(先勝 丙申 三碧木星)下弦 Gudmund Ingemund    第 14 週 第 27443 日

 

人と談笑する時に酒を飲むことはあるが、ひとりの時は酒を飲まない。高齢者になるとひとりの時間が多いので、ほとんど酒を飲まなくなった。けれども、寝る前にお猪口一杯分ほどの酒を飲んで寝ることはある。寒い日にはお湯で割って飲むこともある。ほかほかと全身が暖かくなって、気持ちが良くなり、よく眠れる気がする。ただ、そんなわずかの酒でも飲むとトイレが近くなる。夜中に起きたついでに台所でまたお猪口一杯分ほどの酒を飲むと、それがまた次のトイレを近くしてしまふ。そんなことを繰り返すと、結果としてあまり眠れなくなるので、寝酒は良いのか悪いのか、よくわからない。体験的に感じることであるが、僕は身体が疲れると頻尿になりやすい。頻尿の程度で自分の身体の疲労度を推し量ることができる。疲れると尿を濃縮する機能が弱まるのかもしれない。わずかの寝酒で頻尿になるのはまだ身体が疲れてゐる証拠なのかもしれない。

バスの窓越しに見た九頭竜川

 

祖母の思ひ出

2024-04-01 (月)(令和6年甲辰)<旧暦 2 月 23 日>(赤口 乙未 二黒土星) Annandag påsk Harald Hervor    第 14 週 第 27442 日

 

古い我が家に帰ってみると、おのずと昔のことが思ひ出される。家族の構成は、父、母、母方の祖母、姉と僕の5人であった。父は養子として入って家名を継いでくれた。小さな屋根の下に5人は一緒に生活したが、僕が小さい頃、父は入院生活で家に居なかった時期もある。また、転勤で単身赴任して、家に居なかった時期もある。そんな時代もあったが、5人構成の家族は、肉親の死といふものを長く体験せずにすんだ。僕にとって初めての肉親の死は祖母の死で、それは昭和57年(1982年)のことであった。僕は33歳にもなってゐた。父の死は37歳の時、母の死は60歳の時。幼くして親をなくす子もあることを思へば、恵まれてゐたと思ふ。また、日本の会社を辞めてスウェーデンに渡ったのは38歳の時である。祖母は「明治の女これにあり」といふ感じの人であった。今にして思へば「武士の娘」といふ雰囲気もあった。ともかくもうわついたことが嫌ひで、お調子者の僕が、かうしてブログなんか書くのを知るときっと顔をしかめたのではないかと思ふ。大正時代に母を女手ひとつで育てたことを知ったのはずっと後になってからである。僕は戦後の日本に育ったが、家を一歩出ると、基本的人権の尊重だとか国民主権だとか、戦争の放棄だとか、平和で民主的な空気で明るいのに、家の中はどこかまだそんな時代に追いつけない雰囲気が色濃く残ってゐた。「なぜだらう」と子供ながらに当時は思ったが、今思ふと、この祖母のもとで育ててもらってよかったと、つくづく思ふ。

近くの神社の桜も三分咲きか