祖母の思ひ出

2024-04-01 (月)(令和6年甲辰)<旧暦 2 月 23 日>(赤口 乙未 二黒土星) Annandag påsk Harald Hervor    第 14 週 第 27442 日

 

古い我が家に帰ってみると、おのずと昔のことが思ひ出される。家族の構成は、父、母、母方の祖母、姉と僕の5人であった。父は養子として入って家名を継いでくれた。小さな屋根の下に5人は一緒に生活したが、僕が小さい頃、父は入院生活で家に居なかった時期もある。また、転勤で単身赴任して、家に居なかった時期もある。そんな時代もあったが、5人構成の家族は、肉親の死といふものを長く体験せずにすんだ。僕にとって初めての肉親の死は祖母の死で、それは昭和57年(1982年)のことであった。僕は33歳にもなってゐた。父の死は37歳の時、母の死は60歳の時。幼くして親をなくす子もあることを思へば、恵まれてゐたと思ふ。また、日本の会社を辞めてスウェーデンに渡ったのは38歳の時である。祖母は「明治の女これにあり」といふ感じの人であった。今にして思へば「武士の娘」といふ雰囲気もあった。ともかくもうわついたことが嫌ひで、お調子者の僕が、かうしてブログなんか書くのを知るときっと顔をしかめたのではないかと思ふ。大正時代に母を女手ひとつで育てたことを知ったのはずっと後になってからである。僕は戦後の日本に育ったが、家を一歩出ると、基本的人権の尊重だとか国民主権だとか、戦争の放棄だとか、平和で民主的な空気で明るいのに、家の中はどこかまだそんな時代に追いつけない雰囲気が色濃く残ってゐた。「なぜだらう」と子供ながらに当時は思ったが、今思ふと、この祖母のもとで育ててもらってよかったと、つくづく思ふ。

近くの神社の桜も三分咲きか