映画「オッペンハイマー」を見る

2024-04-15 (月)(令和6年甲辰)<旧暦 3 月 7 日>(先負 己酉 七赤金星) Olivia Oliver    第 16 週 第 27456 日

 

福井市の映画館で「オッペンハイマー」を見た。同居人と一緒に行く予定であったのだが、朝起きると同居人は「昨夜は少しも眠れなかったの」と言ふ。僕はひとりで行くことになった。他の日に変へても良かったのだが、今日は映画館の近くに来店予約を入れてある別の用事があったので、変更せずにひとりでバスで福井のエルパへ行った。映画「オッペンハイマー」を鑑賞した後の感想は複雑なものである。トリニティ実験は1945年7月16日の早朝に行はれた。夜来、嵐の様な天候であったのだが、朝になれば晴れることを弟が知ってゐて、実際その通りになったので、実験は行はれた。それは爆縮型プルトニウム原子爆弾で、後に長崎に落とされたものと同型の爆弾であった。広島や長崎の惨事を知る日本人にとってはこの実験の成功は大変辛いものがあるが、アインシュタインの E=mc2 といふ式が実証された瞬間であった。関係者は実験成功に大喜びするのだが、オッペンハイマーの心は揺れる。それは日本の犠牲者たちに対する謝罪といふかたちを取らなかったけれども、その苦悩はわかる気がした。もし、政府に迎合し、「原爆の父」として、アメリカを救った英雄としての名声を欲しいままにし、人間の良心に照らして顧みることがなければ、もっと楽な人生を送られたかもしれない。しかし、オッペンハイマーは苦悩した。その苦悩といふのは過去への後悔といふよりも未来への憂慮といふ形で現れた。「もし我々が『何が正しいかは私たちが知ってゐる。君たちがこちらの言ふことを聞かなければ原爆を使ふことにするよ』と言ふとすれば、我々の立場はきはめて弱いものとなり、成功はしないだらう」とオッペンハイマーは考へた。この憂慮はそのまま現代まで続くかたちとなってゐる。核の時代の百年の憂ひを、実にオッペンハイマーはトリニティ実験の直後から憂へてゐたのである。オッペンハイマーは世界中の国々の科学者が緊密に連帯し、原子力を一国のものではなくきちんとした国際管理のもとに置くべきであると考へた。現実政治の仕組みをよそに、あまりに純粋でありすぎた彼の理想は挫折する。だが、その素朴な考へに立ち返ることができなければ、現代の我々を覆ふ核の時代の諸問題は解決の糸口をつかむことができないのではないだらうか。「広島を壊滅させた男」といふだけの見方ではあまりにもこの人を一方的にしか見てゐないと僕には思はれる。

町の中を走る北陸新幹線の高架