選挙

2022-09-11 (日)(令和4年壬寅)<旧暦 8 月 16 日>(大安 丁卯 九紫火星)二百二十日 Dagny Helny 第 36 週 第 26878 日

 

スウェーデンも日本も民主的な国であるから、もちろん選挙はあるし、どちらの国でも開票は厳正に行はれるが、選挙に対する感じ方には違ふものがある様な気がする。政治家は票さへ獲得できればもうそれだけで、「全面的に民衆の支持が得られたのだ、正義は我らにあるのだ、我らは民主主義で選ばれたのだ」と何の疑ひもなく思ひ込んでしまふのが日本だと思ふ。それで、我が方に投票してもらふために、選挙の時だけ民衆に擦り寄り、迎合し、「お願ひします」を連呼するのが日本である。獲得できる票数に厳然とした重みがあることはスウェーデンでも同じことではあるが、スウェーデンでは、政党が人々に向かって、頭を下げたり、清き一票をお願ひする様な雰囲気は見かけない。人々の方も、情に流されて投票するようなことはまづないと思ふ。選挙の前には、政党の党首同士がテレビで議論を戦はせたりする。人々はそれを見てどの政党にするか決めるやうである。これは日本の政治家が悪いとか言ってゐるのではなくて、国民性の違ひであると思ふ。でも、それにしても、選挙といふのは確かに民主主義を実現するためのひとつの手段には違ひないのだが、選挙さへ正しく行はれれば民主主義は守られるといふものでもないと思ふ。民衆の合意を得ることばかりに気を取られて、本来進めるべき方針があやふやになる心配はないのだらうか。民意は天意ではないと思ふ。その辺の感じがわかってない政治家が日本には多くないかなと思ふ。

Stockholm 市内の公園で

 

宇宙の膨張

2022-09-10 (土)(令和4年壬寅)<旧暦 8 月 15 日>(仏滅 丙寅 一白水星)満月 Tord Turid 第 36 週 第 26877 日

 

宇宙はどんどん膨張してゐるのだといふ。1964 年にアメリカのベル研究所でアンテナの雑音を減らす研究がなされた時に、どうしても取れない雑音があって、それは結局宇宙から来る背景照射であると結論づけられ、開闢時のビッグバンの名残であると解釈されたといふふうな話を聞く。イメージ的には、風船がどんどん膨らむ様に宇宙は常に膨らんでゐるといふのだが、何か容れ物があって、その中で風船が膨らむのはイメージができるのだが、風船の中に住んで膨らむのを見るのはイメージが難しい。そもそも何かが膨らむといふのは時間の経過を前提としてゐる。その時間といふのは重力の大きいところではゆっくりしか進まないのだから、1秒といふ長さは感覚的に長かったり短かったりする。宇宙の果てまで普遍的に流れる絶対時間といふものが否定された中で、なおも膨張を続けるとはどういふ意味なのだらう。1秒あたりに膨張する割合といふのはどこから見ての1秒か、といふやうな疑問がわく。ブラックホールのやうに巨大な重力のある場では時間さへも止まるとか聞くが、もし時間が止まるのなら膨張といふことはあり得ないのではないかとも思ふ。光の速さについても同じだ。1秒間に真空中を進む光の速さといふ時、その1秒とはどこで測っての1秒なのだらう。ブラックホールからは光も抜け出る事ができないのは、そこでの1秒が経過するのに外から眺めれば何億年もかかるやうに見えるからかなと思ふ。まぎれもない今といふ時刻に、まぎれもない此所といふ場所に居る自分とは何なのか。宇宙を構成する時空の構造はどうなってゐるのか、僕たちの住む世界はまことに不思議な世界であると思ふ。

今日は写真を撮り忘れて、昨日の写真

 

スウェーデンの選挙

2022-09-09 (金)(令和4年壬寅)<旧暦 8 月 14 日>(先負 乙丑 二黒土星) Anita Annette 第 36 週 第 26876 日

 

今度の日曜日(9月11日)はスウェーデンでは選挙日である。テレビの報道などでは、討論会など、盛り上がってゐる様である。選挙は4年に一度あるのだが、いつも当日に選挙に行くと長い行列で待たされるので、同居人と僕は今日、期日前投票を済ませてきた。投票は3つあって、国レベルの選挙用紙(黄)、県レベルの選挙用紙(青)、市レベルの選挙用紙(白)と分かれてゐる。僕らは外国人であるので、県レベルと市レベルだけの選挙権がある。選挙用紙には既に政党の名前が印刷されてあるので、自分の投じたい政党の用紙を選んで封筒に入れて投票するのである。ところで今日の新聞 (Södermanlands Nyheter) にはちょっと面白い記事が出てゐた。乗ってゐる自動車で、その所有者はどの政党に投票するかがわかる、といふのである。例へば、Kia, Hyundai, Toyota に乗る人は Socialdemokraterna, Vänsterpartiet または Centerpartiet に投票し、BMW, Audi, Mercedes に乗る人は moderat もしくは sverigedemokrat に投票するのだといふ。どこまで当たってゐるのかは知らないけれども、その心はわかる様な気がする。

この教会の集会室が、僕らの地区の期日前投票所であった。

 

日本の原子力の政策転換

2022-09-08 (木)(令和4年壬寅)<旧暦 8 月 13 日>(友引 甲子 三碧木星)白露 Alma Hulda 第 36 週 第 26875 日

 

2011年に福島の原子炉溶融事故が起きるまでは、僕は日本の原子力の推進に、反対まではしなくても、慎重であるべきだといふ考へであったのだが、事故が起きて、みんなの意見が一斉に脱原発に傾き出すと、今度は原子力をもう少し前向きに活用しないといけないのではないかと思ふ様になった。長い目でみれば電力不足になる心配があったからで、「目下の電気は足りてるぢゃないか、原子力は要らないね」といふ意見には、どうしてもくみする事ができなかった。電力の需給率が90%を超えた状態などは危なっかしくてかなはない。そもそも原子炉が本質的に持つ危険性は、原子炉を止めたからと言って小さくなるものではない。運転しなければ安心と考えるのは精神論といふか、根拠のない気休めにすぎない。運転を止めて長い時間が経つと、再起動する時に思はぬトラブルに見舞はれてしまふのではないかと気がかりだし、運転員は長いブランクの後で、どこまで訓練されてゐるかも心配な点だ。10年以上も経つ間にベテランの運転員たちはやめていったのではないか。これらの心配を解消するためにも、もっと早い時期から原子炉を連続的に稼働すべきであったのではなかろうか、むしろその方が、長くブランクを置くよりも原子炉の安全性を保てたと思ふ。最近になって、政府は原子力の再稼働に向けて舵をきり始めた。原子力利用への政策転換はスウェーデンやドイツなどヨーロッパでも同じ様な傾向が見られる。原子力は、課題が山積みであるから、無責任に推し進めれば良いといふものではもちろんないけれども、もう少し安定した政策の方向性があるべきと思ふ。長期的には、今の巨大なタービンを回して発電するやり方を変更して、もっと本質的に安全な、運転員の負担も軽い原子炉に置き換えていくことも大事ではないかと思ふ。核燃料サイクルもどうすべきか。今の世に電気自動車や自動運転車や量子コンピュータなどの開発に向けられてゐるほどのマンパワーが新しい安全な原子力の開発に注がれたなら、状況はかなりよくなるのではないかといふ気もする。

この並木道も僕の好きな道

 

今日もプールへ行くことができた

2022-09-07 (水)(令和4年壬寅)<旧暦 8 月 12 日>(先勝 癸亥 四緑木星) Kevin Roy 第 36 週 第 26874 日

 

若い頃は朝型人間であったのだが、老人になって家で生活する様になると、朝がなかなか起きられない。毎朝寝床の中で、とても今日はプールには行けないよなと沈む。遅くなって起き上がって、少しづつ動き始めると、そのうちに普通の元気が戻って来て、もしかしてプールに行けるかも、といふ気分になる日もある。今週はそんな日が3日続いてくれた。ダメな週は全然ダメである。昨日と一昨日は自動車でプールへ行ったのだが、今日は天気も良かったので、自転車で行った。正確には 3,7 km の道のりを自転車で行って、残りの 1,3 km は坂道になってゐて自転車はきついので、歩いて行く。自転車20分、歩き20分、泳ぎ20分、帰りの歩き20分、帰りの自転車20分、それに着替えたりサウナ、シャワーの時間が30分ほどかかるので、2時間以上かかってしまふのだが、もしその気になれるなら、他のことができなくても、この時間を優先させたいと思ふ。少ない活動時間の中で2時間も取られると、もうあまり他のことはできなくなってしまふ。しかし、コロナ以降、足腰の衰へをとみに感じるので、日課の配分を健康維持のために多く充てられる様に頑張りたいと思ふ。ただ、これからは寒くなるし、自転車で行ける日は少なくなるかもしれない。

町のこの通りにはイチョウを見かける。

 

平家物語 巻第四 「鼬(いたち)の沙汰 2」

2022-09-06 (火)(令和4年壬寅)<旧暦 8 月 11 日>(赤口 壬戌 五黄土星) Lilian Lilly 第 36 週 第 26873 日

 

ところで、清盛の三男である前右大将宗盛卿(亡くなった重盛の弟)は、後白河法皇をこんなに長く鳥羽殿に押し込め申し上げるのはあまりにも畏れ多いことですと切に申し上げるものだから、清盛はやうやくのことで思ひ直した。翌13日に法皇は鳥羽殿からお出になることができた。八条烏丸の美福門院御所へお移りになった。泰親が占った、三日のうちの御悦びとはこのことであったのである。

さうかうするところに、熊野別当湛増は、高倉の宮が御謀反を起こされたといふニュースを、飛脚で都に伝へて来た。前右大将宗盛卿はもうビックリで、落ち着きをなくし、その時、清盛は福原にゐたので、すぐにこのことを福原へ知らせた。清盛は直ちに都にやって来て、「良い悪いを考へてゐる時ではない。高倉の宮を絡め取って、土佐国の幡多(はた)へ流してしまへ」と命令するのであった。上卿(公事を執行する時の最高責任者)は三条大納言実房、職事(ことを取り扱ふ蔵人)は頭弁・光雅(藤原光頼の子)と決まった。源大夫判官兼綱、出羽判官光長の2名は命令を受けて、高倉の宮の御所へ向かった。この源大夫判官兼綱といふのは、実は三位入道・源頼政の次男である。それなのにその様なお役目の人数に数へられたといふことは、高倉の宮の御謀反を勧めたのが頼政であったことを、平家の人々はまだ知らなかったのである。

スウェーデンの秋は長い。その長い秋のいまは始まりである。

 

平家物語 巻第四 「鼬(いたち)の沙汰 1」

2022-09-05 (月)(令和4年壬寅)<旧暦 8 月 10 日>(大安 辛酉 六白金星) Adela Heidi 第 36 週 第 26872 日

 

鳥羽殿の後白河法皇は「遠き国に流されるかも知らん。はるかの島へ移されるかも知らん。」と仰せになるのだが、ともかくもこの城南の離宮での幽閉のお暮らしは今年でもう二年になるのだった。

治承4年(1180年)5月12日正午頃のことであった。御所の中をたくさんの鼬が走り騒いだ。法皇は大変お驚きになって、その様子を形に書きとどめて、近江守仲兼 ーそのころは鶴蔵人と呼ばれてゐたのだがー をめして、「この占形を持って、泰親の元へゆけ。きっと考へさせて、占いの結果を書き記したレポートを提出させよ」と仰せになった。仲兼はこれをお預かりして、陰陽頭・安倍泰親の元へ行った。おりふし、家に居なかったが、「いま、白河の方へ行ってますよ」といふことであったので、賀茂川の東側、ー今でいへば銀閣寺道か、哲学の道か、どっかあの辺りだと思ふー に訪ねて行って、泰親にあふことができた。後白河法皇のご質問を説明して占いをしてもらった。すぐに吉凶の結果を書いてくれたので、仲兼はそれを持って鳥羽殿へ戻った。ところが門より中に入らうとすると、守護の武士が通してくれない。鳥羽殿の建物の様子はよく知ってゐたので、築地を超えて、大床の下に潜って這って行き、すのこの様な隙間のある切り板から泰親の占い報告書を法皇様にお渡しするのだった。後白河法皇はこれを開けてご覧になった。「いま三日のうちに御悦びと御なげきと両方ありますよ」と書かれてあった。法皇は「悦びの方はまあわかるよね。けど、なげきとはどんななげきなのだらうか。これだけの逆境の中で、さらにどんな悪いことが起こるのかしら」とおっしゃるのだった。

初秋の空