平家物語 巻第五 「五節之沙汰 3」

2024-05-18 (土)(令和6年甲辰)<旧暦 4 月 11 日>(友引 壬午 四緑木星) Pingstafton Erik    第 20 週 第 27489 日

 

治承4年(1180年)11月8日に、大将軍権亮少将維盛は福原の新都にのぼり着いた。いくさらしい戦さもせずに逃げ帰ってきたのであるから、清盛はもうカンカンに怒った。「維盛を鬼界ヶ島へ流せ。忠清は死罪だ。」平家の侍どもはこの清盛の怒りをなだめようとして、その翌日会議を開いた。主馬判官盛國といふものが進み出て「忠清は昔から臆病な人間ではなかったぞ。あれが確か18の時であったか、鳥羽殿の宝蔵に畿内五カ国で一番といふ悪党ふたりが逃げ籠った。近寄ってめし取らうとするものは誰も居なかったが、この忠清がただひとり築地を越へて入って、ひとりを討ち取り、ひとりを生け捕りにして、後代に名をあげたのだ。今回の不覚は普通のこととも思はれない。これにつけても、兵乱を鎮めるための御祈祷をよくよくなさるべきではないか」と言った。

そのまた翌日の10日になると、どういふわけだか、維盛は左遷どころか、右近衛中将に抜擢された。今回の東方への遠征では、確かに打っ手の大将ではあられたのだが、それほどの手柄があったわけでもない。「これは一体どういふご褒美なんだらうね」と人々はささやきあった。

初夏の夕暮れ