平家物語 巻第六 「飛脚到来 3」

2024-09-11 (水)(令和6年甲辰)<旧暦 8 月 9 日>(仏滅 戊寅 七赤金星)上弦 Dagny Helny  第 37 週 第 27605 日

 

2月12日に鎮西(九州)より飛脚が到来した。宇佐の大宮司公通からである。「九州のものども、緒方三郎をはじめとして、臼杵・戸次・松浦党に至るまで、みな平家にそむひて源氏に同心」と書いてあった。これを見て平家の人たちは「東國北國の謀反だけでも大変なことなのに、これはどうしたら良いだらう」と悔しがって、この意外な展開にあっけにとられるばかりであった。

2月16日に、今度は伊予國(四国)より飛脚が到来した。去年の冬の頃より河野四郎通清をはじめとして、四国のものどもはみな平家をそむひて源氏に同心。しかし、備後國(広島県)の住人、額の入道西寂は平家に深く心を寄せてゐたので、伊予國に渡り、道前・道後の境(温泉郡と越智郡との境)にある高縄城(河野城、湯築城とも言った)を攻めて、河野四郎通清を討ち取った。その子息・河野四郎通信は、父が討たれた時にその現場に居なかった。といふのも、安芸國の住人・沼田次郎は母方の伯父であったので、そっちへ応援に行ってゐて、城には居合はせなかったのである。父が討たれたと聞いて、実に悔しい思ひをした。何としても仇を討たねばと思ひ、その機会を狙ってゐた。額の入道西寂は、河野四郎通清を討ち取った後、四国を平定して、今年になって1月15日に、備後の鞆の浦広島県福山市ーネットには「日本で最も癒される港町」と出てゐた)へ渡った。そこに遊君、遊女たちを集めて宴会を開いた。前後不覚で酔ひ臥したところへ、河野四郎通信をはじめ、決死の仲間たち百余人がバッと押し寄せた。西寂の方にも三百余人の兵がゐたのだが、あまりにも急襲であったために、みなあはてふためいた。手向かひするものを射伏せ、切り伏せ、まづ西寂をいけどりにした。そのまま伊予國に戻り、父が討たれた高縄城へ引き連れて行き、ノコギリで首を切ったとも伝へられる。また、はりつけにしたとも伝へられる。

今日は一日、雨であったが、同居人はtvättstuganでシーツなどの洗濯をしてくれた。