平家物語 巻第六 「飛脚到来 2」

2024-09-10 (火)(令和6年甲辰)<旧暦 8 月 8 日>(先負 丁丑 八白土星) Tord Turid  第 37 週 第 27604 日

 

治承4年(1180年)2月1日、越後國の住人・城太郎助長は越後守に任命された。これは木曽義仲を追討させるための処置であるといふ評判であった。2月7日には大臣以下、それぞれの家で、尊勝陀羅尼といふ経文や不動明王を書いて供養された。これは兵乱を鎮めるための御祈祷のためである。2月9日になると新しい知らせが入った。河内國石河郡に住む武蔵権守入道義基とその子息石河判官代義兼が、平家にそむいて兵衛佐頼朝に心を通じ、すでに東國へ落ちていったといふのである。入道相國はすぐに討手を差し向けた。討手の大将は源太夫判官季定と摂津判官盛澄で、都合その勢三千余騎である。応戦する武蔵権守入道義基とその子息石河判官代義兼の方は城にこもるがその勢は百騎ほどしかない。鬨の声を上げ、矢合はせして、入れ替へ入れ替へ数時間戦った。城内の兵たちは手の及ぶだけ戦って、討死するものが多かった。武蔵権守入道義基は討死した。子息石河判官代義兼は重傷を負って生捕りにされた。2月11日には、その義基法師の首が都に入り、それを掲げて市街を練り歩き見せしめにされた。天皇の服する喪のうちに賊首を渡されることは、堀河天皇崩御(1107年)の時に、前対馬源義親の首が渡されることがあって以来のことであるといふ。(源義親は義家の子で、為義の父である。九州で略奪を働き、官吏を殺害したために隠岐国へ流された。その後も出雲にわたって再び官吏を殺害したり年貢を奪ったりの悪事を働いた。このため平正盛によって成敗された。)

ほほづきは秋の季語。スウェーデンにもあるのが嬉しい。