太平洋戦争の無念

2024-08-03 (土)(令和6年甲辰)<旧暦 6 月 29 日>(仏滅 己亥 一白水星) Tage  第 31 週 第 27566 日

 

それにしてもわづかの兵力を広い太平洋に分散させて、兵站の準備もできぬまま、精神力でしのげとばかりに、暴力と命令だけで日本軍の作戦は進められた。現地に赴いた兵士たちの、士気が高まるはずがない。日米開戦前の1941年9月5日、杉山元・陸軍参謀総長昭和天皇から「日米に事起こらば、陸軍としてはどれくらいの期間に片付ける確信があるか」と聞かれた。杉山は「南洋方面だけは3カ月で片付けるつもりであります」と答へた。「なんじは支那事変当時の陸相であるが、当時『事変は1カ月くらいで片付く』と申したことを記憶してゐる。しかるに、4カ年の長きにわたっていまだに片付かぬではないか」。参謀総長が「支那は奥地が開けてゐて、予定通り作戦できませんでした」と弁解した。すると、天皇は「なに、支那の奥地が広いと申すなら、太平洋はもっと広いではないか!」と一喝された。これはもうあまりに有名な、歴史に残る昭和天皇のお言葉であるが、天皇から直々にこれだけのことを言はれながら、日本軍はその後、誠に粗末な作戦しか展開できなかったのである。歴史の結果を知るものだから指摘できることかもしれないが、もしこの人が自由人であったなら、非は軍部にあることを素直に認められたのではないか。今の日本でも、種々の組織の要路の人が、立場上、この参謀総長と似た様な発想しかできない場合が多いのではないかと危惧する。

また、翌日の9月6日には御前会議が開かれた。天皇は会議ではご発言なさらない様にといふ慣例を破って、明治天皇御製の和歌を披露された。

 

よもの海みなはらからと思ふ世になど波風のたちさわぐらむ

 

御前会議で天皇から、これだけの不戦の御意を拜しながら、日本が戦争に突入してしまったことの無念を今更の様に思ふ。

夏の夕暮れ