平家物語 巻第五 「五節之沙汰 5」

2024-05-20 (月)(令和6年甲辰)<旧暦 4 月 13 日>(仏滅 甲申 六白金星)小満 Annandag Pingst Karolina Carola    第 21 週 第 27491 日

 

さうかうするうちに、今度は清盛の四男重衡が左近衛中将になられた。11月13日、福原に内裏ができて、天皇がおうつりになった。(数へ年3歳で即位された安徳天皇のことと思ふ。新帝の即位があると、その最初の新嘗會は大嘗會と呼ばれる。いまの令和天皇の場合は2019年5月8日に即位の礼があり、大嘗祭は同年11月14日、15日にあった。)新帝が即位されたので大嘗會を行はなければならないのだが、新都の福原では用意が間に合はない。10月末に、賀茂川の河原でみそぎをされた。大内裏の北の野に斎場所を作り、儀式のための神服神具を整へた。大極殿の前、龍尾道といふ石の廊下に廻龍殿を立てて、天皇はそこでお湯を使はれた。同じ壇の並びに大嘗宮を作ってそこに神膳が供へられた。御神楽があり、風俗歌の演奏もあった。大極殿で大礼が行はれ、清暑堂で御神楽があり、豊楽院で宴会があった。ところが、この福原の新都ときたら、大極殿もなければ、大礼を行ふべき場所もない。清暑堂がないので御神楽も奏されず、豊楽院もないので宴会を行ふすべもない。今年はただ新嘗會と五節だけになるねと、公卿たちは話し合ったが、新嘗のまつりは旧都の神祇官の役所で行はれた。

五節といふのは新嘗祭大嘗祭の後に行はれる五人の舞妓による舞をいふのだが、天武天皇の御時に、吉野宮で月しろく嵐の激しかった夜に、天皇が御心をすまして琴をおひきになった時に、神女が天下って、五たび袖を翻したと言はれる。これが五節のはじめである。

小さな庭の一隅